もちろん中野さんが『奇跡の社会科学』で取り上げているウェーバーにしてもバークにしても、彼ら自身は大変な勉強家だったと思います。しかし、彼らは頭でっかちになることはなかった。現実と格闘しながら学問をつくりあげていたから、彼らの議論は実践的で、いま読んでも決して古びることはないのだと思います。
それから、もう1つ古典の知恵が軽視されてきた原因を考えれば、最初の点とも関連しますが、重要な古典を読んではいるけども、それを牽強付会に解釈してしまっていることです。
政治学や国際政治学をやっている学者ならたいていトクヴィルを読んでいます。中野さんが『奇跡の社会科学』で強調されているように、トクヴィルは中間団体を重視しました。中間団体とは、政党や組合、教会、業界団体などのことです。中間団体が機能していれば、人々は専制的な中央権力に従属するだけではなく、自分たちの意見や利益を政治に反映しようとすることができます。
日本にも労組や農協、業界団体、村落共同体など、多くの中間団体があります。トクヴィルの議論に基づけば、こうした中間団体は専制的な中央権力を抑止する上でとても重要なので、是が非でも維持しなければならない、となるはずです。
ところが、日本の学者たちは、トクヴィルが言っていた中間団体とは「自由で自律的な市民からなる自発的結社」のことであり、アソシエーションと呼ばれるべきものであって、日本の村落共同体や農協、商工団体などは当てはまらないなどと言うわけです。つまり、中間団体には「良き中間団体」と「悪しき中間団体」があって、日本の村落共同体や農協などは「悪しき中間団体」であり、極端な場合はこれらを解体しても構わないということになるのです。
中野:実に馬鹿げた解釈ですね。それを言うなら、いま問題になっている旧統一教会やその関連団体だって自発的結社と言えてしまいますよ。
施:そうですね。要するに、彼らは古典を知識として知っているだけで、それを実践の中できちんと活かすことができていないのです。頭でっかちだから、古典を牽強付会に解釈してしまうのでしょう。
古典を現在に活かせるか
佐藤:私なりに言い換えれば、それは〈再現の失敗〉という問題です。過去の叡智を現在に活かせないわけですが、これは演劇に即して考えるとわかりやすい。
芝居を上演するというのは、基本的に「過去に書かれた密度の高い言葉を、現在の観客の前で語ってみせること」です。シェイクスピアなら400年以上前に書かれていますし、ギリシャ悲劇なら2400年〜2500年前。ただし役者は、くだんの言葉を「今この瞬間、自分が思いついた」ものであるかのように語らねばならない。