就職するまで、特にアルバイトを始める前までは、お金の呪縛に囚われてしまい、出費を異様に恐れていた山野さん。社会人になっても高級なブランド品やデパコスを購入する余裕はないが、今の生活に何も不満はない。
「奨学金は借金ですが、第一種奨学金がなければ大学に行く道はなかったので、進学して勉強して、『大卒』になれたことには、とても感謝しています。給与面だけを見ても、すでに社会人1年目で母の年収を超えていました。やはり、『高卒』か『大卒』ということは大きな違いだと感じましたね……」
奨学金を借りて「貧乏カーストの頂点」から抜け出した山野さんだが、良いことばかりではない。冒頭に記した通り、周囲とのギャップは小さくなかったのだ。
「同期が『初めてのボーナスで20万円のロードバイクを買った』と自慢してる頃、私はまだ家具すら揃っておらず、2000円のカラーボックスしか買えなかった、なんてこともありました。そのときは『この~!』と思うと同時に、『育ってきた世界が違うんだな』って感じましたよね(笑)」
お金の呪いからは解放も、まだまだキャリアを模索中
また、仕送りを優先するために就いた、現在の仕事についても悩みはある。高い給料を目指して就職したものの、今ではやりがいを感じなくなっているそうで、「ある程度貯金が貯まれば、転職したい」と考えているという。
「高校生のときまではお金に困っていたため、『絶対お金持ちになってやる!』という思いが強かったのですが、いざ社会に出てみたら、普通に働いていればお金はそれなりに稼げることを理解しました。でも、やりがいという面では、むしろ学生時代のバイトのほうがあったよなって。
そして、奨学金を返せる目星がついてくると、急に『お金の呪い』から解放されて、『どうして、これまでお金に執着していたんだろう?』と思うようになりました。そこから、自分が求めていたのは『お金を稼ぐこと』ではないことに気づきました。
とは言え、私は身体があんまり強くないんです。接客業が好きですが、営業は向いていなさそうなので……悩ましいですよね」
26歳という年齢もあってか、まだまだキャリアを模索中の山野さん。しかし、彼女が懸命に努力して人生を変えたことは、意外なところにも影響を与えている。かつて彼女に「奨学補助金」を支給してくれた町に、国立大学を目指す者を対象にした給付型奨学金制度ができたというのだ。
山野さんが語る現在の悩みは、言ってしまえば「よくあるもの」かもしれない。しかし、その等身大の悩みは、切実な努力の積み重ねの末に手にしたものなのだ。もし大学に行かず、地元に残っていれば、味わうことのない悩みだったろう。
彼女が努力で切り開いた道を進む後輩たちも、同じようにいつの日か、「自身の人生を変えたがゆえの苦悩」を味わうことができるのだろうか。
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