「奨学金240万円」26歳女性が悩む"この先の仕事" 実家は超貧乏、お金の呪いからは解放されたが…

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母子家庭出身の山野さん。母と2人で、家賃1万2000円の、築50年の町営住宅に住んでいた。家は相当ボロボロだったようで、あるときイスの上にコンクリートの破片が載っかっているなと思っていると、そのまま壁が崩れたことがあるという。

「1歳で両親が離婚し、そこからは母と2人暮らし。父は離婚後、すぐに養育費を払わなくなったため、私が4歳の頃に裁判沙汰となり、その後、養育費を踏み倒して行方不明になっています。

母は准看護師として働いていたのですが、もともと身体が弱かったのと、世渡りが下手ということもあって、仕事はしょっちゅう変わっていました。うつ状態になることもあったので、無職だった時期も多いです。母方の祖父母も私が幼い頃に亡くなっており、頼れる親戚もいなかったので、生活はカツカツというかむしろマイナスで、死なない程度に生きているという具合でした」

貧乏から抜け出すため、大学進学の選択肢しかなかった

しかし、困窮している山野さんと母親に対して、国の支援は決して手厚くはなかった。

「失業手当はもらっていましたが、給料の何割程度かしか支給されないんですよね。だから、准看護師だった母はもともと基本給が少なく、しかもパート扱いだったため、受給額はひと月に5万〜7万円程度。一番貧しい時の年収は100万円を切っていました。

でも、生活保護を受けると、保険に入れなくなったり、車を持てなくなるので、ずっと耐え忍んでいました。正直、生活保護をもらっていたほうが、ちゃんと生きてこられたな、とは思います」

文字通り、生きるのに精一杯だった山野さんだったが、そんな環境でも頭が良ければ周りから褒められるため、勉強することは好きだった。また、地元の支援もあり、公立の進学校に通うことができた。

「通っていた高校はバイト禁止でしたが、学年で3人にだけ、半年で5万円支給する同窓会の給付型奨学金制度があったので、そのお金で参考書や文房具を買えました。さらに、私が住んでいたのは人口1万数千人程度の小さな町で、みんなが『あの家は貧乏なのに、娘はがんばって進学校に通っている』と知っていたので、役所から『奨学補助金』を5000円ぐらい支給してもらうことができました。本当は修学旅行の費用も払えなかったらしいのですが、それも町が出してくれたんです」

そんな生活から抜け出すためには当然、大学進学という選択肢しかなかった。

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