ちなみに紫式部の夫・藤原宣孝について清少納言は『枕草子』で言及している。そう思うと、やはり意外と近くにベストセラー作家がいる、という感覚だったのではないか。当時の宮中の人間関係は狭いし、評判が伝わってくるのも早かったのだろう。紫式部がちょっとばかり日記に批判を書いてしまう気持ちもわかる気がする。
自分があんな複雑な宮中長編物語を組み立てている横で、「春はあけぼの」みたいな感性重視のエッセイで人気を博しているあたり、むかついたのかもしれない。
が、紫式部日記の面白いところは、実は清少納言批判のあとに自虐的な文章が続くところ。そう、彼女は人の悪口を書いた後、その倍くらいの分量で、自虐をつづっているのだ。
徹頭徹尾、自虐の「紫式部日記」
かく、かたがたにつけて、一ふしの思ひ出でらるべきことなくて過ぐしはべりぬる人の、ことに行末の頼みもなきこそ、なぐさめ思ふかただにはべらねど、心すごうもてなす身ぞとだに思ひはべらじ。
(中略)
大きなる厨子一よろひに、ひまもなく積みてはべるもの、一つには古歌、物語のえもいはず虫の巣になりにたる、むつかしく這ひ散れば、開けて見る人もはべらず。片つ方に書どもわざと置き重ねし人もはべらずなりにし後、手触るる人もことになし。それらをつれづれせめて余りぬるとき、一つ二つ引き出でて見はべるを、女房集まりて、「御前はかくおはすれば、御幸ひは少なきなり。なでふ女か真名書は読む。昔は経読むをだに人は制しき」としりうごち言ふを聞きはべるにも、物忌みける人の、行末いのち長かめるよしども、見えぬ例なりと、言はまほしくはべれど、思ひくまなきやうなり、ことはたさもあり。
<筆者意訳>でもね、こんなふうに人のことを評している私こそ、この先どうしよう……。まったく誇れる長所も自信もない。将来の希望もない。私なんて、慰めの余地すらない。それでも、自分のことを寂しい女だと思いながら生きるのだけはやめよう。と、思いたい気持ちだけは、まだなくなってないんだけど。
(中略)
実家の自分の部屋のなかで、いちばん大きな棚。そこにびっしりと積んであるのは、まずは古い和歌や物語たち。今や言葉にならないくらいひどい虫の巣になってしまった……。キモい虫がぞわぞわと這っているから、その棚を開く人は実家にいないのだ。
そしてもう片側の棚に入っているのは、漢詩や漢文。夫はきちんと整理して並べてくれていた。でも彼が亡くなってしまってからは、触る人もいなくなってしまった。すごく寂しいとき、私はその棚から1冊か2冊取り出して開く。すると女房たちは、集まって陰口を言うのだ。
「奥様はああだから、幸せになれないんだわ。なんで女性が漢文の本なんて読むのかしら。昔はお経ですら、漢字で書かれているからって女性が読むのは止められたのに」
私はそれを聞くたび、
「へえ、じゃあ幸せのために物忌みをちゃんとした人が、長生きしたところを見たことがあるの?」
と言いたくてしょうがなくなる。さすがに言わないけど。ていうか、女房たちの言うとおりなところもあるのだ。私は寂しい女で、幸せではない。
いやもう本当に『紫式部日記』、徹頭徹尾、紫式部が自虐的なのだ。『紫式部日記』=清少納言の悪口というイメージだけが世間には浸透してしまっているように思う。が、彼女は他人の悪口の100倍くらい、自分の悪口も書く女。
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