「ワーク・ライフ・バランス」が「無理ゲー」な理由 「いい子」を生む経済成長前提の社会構造の限界

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が何だかおかしな使われ方をしているような気がしています。ワーク・ライフ・バランスにせよ、コンプライアンスにせよ、おそらくアメリカのビジネス界で提唱された言葉がそのままカタカナで日本社会に入ってきているのでしょう。
問題は、僕たちがそのような概念を必要か不必要か、受容するかしないかを吟味する間もなく、すでにその言葉が存在する状況に放り込まれているということです。
意味のわからない言葉を使い続けざるをえないのだけど、意味はわからないから知っているものの中でどうにか対処する。こうして言葉は本来の意味と乖離していきます。現代はこのような状況なのだと思っています。
「ワーク・ライフ・バランス」への違和感
内閣府によると、ワーク・ライフ・バランスとは「仕事と生活の調和」と訳すそうです。内閣府が策定した、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を引用します。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら