「ワーク・ライフ・バランス」が「無理ゲー」な理由 「いい子」を生む経済成長前提の社会構造の限界
「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が何だかおかしな使われ方をしているような気がしています。ワーク・ライフ・バランスにせよ、コンプライアンスにせよ、おそらくアメリカのビジネス界で提唱された言葉がそのままカタカナで日本社会に入ってきているのでしょう。
問題は、僕たちがそのような概念を必要か不必要か、受容するかしないかを吟味する間もなく、すでにその言葉が存在する状況に放り込まれているということです。
意味のわからない言葉を使い続けざるをえないのだけど、意味はわからないから知っているものの中でどうにか対処する。こうして言葉は本来の意味と乖離していきます。現代はこのような状況なのだと思っています。
「ワーク・ライフ・バランス」への違和感
内閣府によると、ワーク・ライフ・バランスとは「仕事と生活の調和」と訳すそうです。内閣府が策定した、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を引用します。
我が国の社会は、人々の働き方に関する意識や環境が社会経済構造の変化に必ずしも適応しきれず、仕事と生活が両立しにくい現実に直面している。
誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活ができるよう、今こそ、社会全体で仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならない。
仕事と生活の調和と経済成長は車の両輪であり、若者が経済的に自立し、性や年齢などに関わらず誰もが意欲と能力を発揮して労働市場に参加することは、我が国の活力と成長力を高め、ひいては、少子化の流れを変え、持続可能な社会の実現にも資することとなる。
そのような社会の実現に向けて、国民一人ひとりが積極的に取り組めるよう、ここに、仕事と生活の調和の必要性、目指すべき社会の姿を示し、新たな決意の下、官民一体となって取り組んでいくため、政労使の合意により本憲章を策定する。(「仕事と生活の調和」推進サイトより 2022/11/04閲覧)
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