「ワーク・ライフ・バランス」が「無理ゲー」な理由 「いい子」を生む経済成長前提の社会構造の限界

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このような条件のもと、戦後日本ではワークを主としライフを従とすることで敗戦からの復興を遂げていきました。そして現在でも内閣府の言うワーク・ライフ・バランスはその目的を経済成長にしているという点において、この延長線上にあるといえます。

しかしこの経済成長を前提にした社会構造が生み出した歪みとして、70年代後半には「過労死」の報告がなされていきます。以下は先ほどの森岡さんの本からの引用です。

1970年代半ばは、1950年代半ば以降の高度成長が終息した時点で日本経済の転換点をなしている。1973年10月に第四次中東戦争が勃発したことを契機に、第一次オイルショックが起こり、日本経済は大幅な物価上昇に見舞われるなかで、74年には戦後最初のマイナス成長に陥った。このオイルショック不況からの脱出の過程では、産業界を挙げて「省資源・省エネルギー」と「減量経営」が叫ばれた。その結果、1960年代初めから1970年代の前半にかけて減少してきた労働時間にも大きな転換が生じた。1970年代後半になると、労働組合運動が押さえ込まれ、人員削減と生産技術のME(マイクロエレクトロニクス)化を背景に、残業(時間外・休日労働)が長くなって、労働時間が増勢に転じ、とくに男性のあいだで過重労働に起因する健康障害が多発するようになった。それとともに産業医学の分野で「過労死」の症例が報告されるようになったのである。(8-9頁)

ワークとライフの均衡を取り戻す

ワークを主としライフを従として推進されてきた、経済成長がもたらした結果の負の側面が「過労死」です。内閣府のいうように、「我が国の社会は、人々の働き方に関する意識や環境が社会経済構造の変化に必ずしも適応しきれず、仕事と生活が両立しにくい現実に直面して」いて、それを本当に変えたいのであれば、経済成長を前提にした議論自体を再考すべきです。

しかし日本はいまだにワークとライフの主従関係をそのままに経済成長を志向し続けています。この状態で「仕事と生活の調和」を目指すことは、結局ワークにライフを従属させることの強化につながります。僕たちが目指すのはワークとライフの主従関係を解消し、両者の均衡を取り戻すことです。この観点から、これからのワーク・ライフ・バランスは「働くことと生きることの均衡状態」と訳すことができるでしょう。

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