「ワーク・ライフ・バランス」が「無理ゲー」な理由 「いい子」を生む経済成長前提の社会構造の限界
やはり忘れてはならないのは、僕たちはワークを行いながら生きていく社会人であると同時に、不満や怒り、喜びや哀しみといった理性ではコントロールし切れない部分(ライフ)を内包した生き物だということです。現代社会のようにワークとライフの主従関係が強固で、生き物の部分のコントロールを強いられつつ働くことは、その部分を強く持っている人であればあるほど生きづらいのです。
生き物としての直感が働いている
現代社会のように生き物の部分を社会から排除すればするほど、僕たちは社会の中で何のために生きているのかわからなくなります。今若い人たちがどんどん会社を辞めている背景には、これ以上ワークのためにライフを犠牲にしたくないという、生き物としての直感が働いているのだと思います。本来は生きるために社会があって、生きるために働くはずなのに、いまだに経済成長を目的とするワークとライフの主従関係の中では、働けば働くほど生き物の存在に否を突きつける片棒を担ぐことになります。
はっきり言って、この点を若者は直感しているのだと思います。だから、働く意味がわからない。こんな会社に人はもうやって来ません。でもこの状況はむしろ、社会が健全になっている兆候だと思っています。ワークとライフの均衡状態を取り戻すためには、社会の中に生き物が生きられる余地をつくること。そのための第一歩が、一人ひとりの「脱いい子」だといえるのです。
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