ただの石を1日5000円売り上げた男が悟った真理 人生における本当の「勝者」はお金持ちではない

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「お酒って、なにがあるの?」

「はい、ウィスキーだけご用意しております。こちらで飲んでいただければ」

「じゃあ、1杯ください……」

500円玉がカウンターの上に置かれる。初めて、このカウンターで売り上げが発生した。しかし、勝負はまだまだこれからである。

ウィスキーのロックを待っている最中、おじさんは盆の上に並べられた石をなんとなく眺めている。

「これも売ってるの?」

「ええ、ひとつ100円です」

「これって、鉱石とか宝石の原石とか、そういうのじゃないよね……?」

「はい、私が拾ってきた、ただの石です」

「ふうん……」

そこにウィスキーのグラスを提供する。興味があるんだかないんだかはわからないが、そのおじさんは盆の上の石を触りだした。そしてチビチビと舐めるようにウィスキーを飲んでいるうち、次第に彼の目は、真剣なものへと変化していった。

「この石、どこで拾ったの」

「茨城県の海岸ですね」

「へえ、あそこら辺に、こんないい石があるんだ……」

ついに、時は、来た

おお、おじさん、話がわかる人ではないか。

それから15分ほど、おじさんはウィスキーを飲み、石と戯れていた。私は、自分で価値を見出した石たちが、いまおじさんの興味を引いていることに、ぞわぞわとした快感のようなものを得ていた。

「ごちそうさま。じゃあ、この石、ひとつ買っていくわ」

来た。ついに、時は、来た。

石が、本格的に、売れた。

おじさんは空いたグラスと100円玉を置くと、石をポケットに無造作に突っ込んで、その場から去っていった。

残された私はひとり、そこで極限に達した快感に体を貫かれながら、直立不動の姿勢でおじさんを見送っていた。

気持ちいい。満たされた。

自分で選んだ石を、誰かが選んでくれることって、こんなにも心地の良いことなのか。

いつのまにか石に込めていた自分の無意識的な価値観が、他人に認められたのだ。

生涯で感じたことがないほど、自己承認欲求が満たされている。インスタグラムに投稿した写真に「いいね」がつくことの、数万倍の、満たされ方をしている。拾った石が売れるのって、こんなにも最高なことなのか。

それからも、「お酒」の看板につられて、途切れることなくお客さんたちはカウンターへとやってきた。石を夢中で眺めるだけ眺めて「ここには自分の欲しい石はなかったです……」と買わないで帰る人もいたし、なんと2000円も使って20個もの石を爆買いしていく人もいた。私もお酒を飲みながら、一緒に石を鑑賞しつつ、「あー、その石、本当は買ってほしくないほど好きなんですよ~」などとやったりしていた。

次ページそれはとても豊かな時間だった
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