映画「あちらにいる鬼」監督が引き出す俳優の魅力 幅広い作風で話題を呼ぶ廣木隆一監督に聞く
――原作のどの部分に焦点を当てて映画化しようと思ったのでしょうか。
原作に描かれている3人の関係性を描きたかったですね。みはると笙子は「愛人と本妻」という言葉で表現できる関係ではなかったと思います。みはると白木は自分の名前で作家活動をしていましたが、白木の妻である笙子も執筆をしていて、作品は夫の白木名義で発表していました。3人とも物書き、作家さんなんです。その3人の関係性が面白いなと。
――映画を見ていてまったく不自然さんを感じませんでした。この3人にとっては自然なことなのだろうと。と同時に、今の時代にはすっかり影が薄くなってしまった「お手軽ではない恋愛」を見たような気がして圧倒されました。
そうですね。結局、3人は同じ墓に眠っているぐらいなので、お手軽な人間関係ではないのでしょう。その「生きてる実感」はこの作品に色濃く出ていると思います。
「お手軽な場所」にいると何も感じない作家さんたちだから、白木が言うように「もう少し先に行ってみよう」となるのではないのかと。
そして、その間に生まれた小説はおそらく身を削って書いている。そこが素晴らしいし、面白いなと思いました。
普通ではできない
その境地に到達することは、普通ではできないと思う。でも行けてしまうのは、やはり作家という職業だからなのか。
原作が描いているみはるが出家する前の60年代から70年代は、作家さんは「先生」ですよね。売れればある程度のお金も入って来たし、家を建てることもできた。今とは時代が違います。
白木役の豊川(悦司)さんはそのことを指して、この作品を“時代劇”と言ってましたが……。特別な関係をまっとうする覚悟のようなものがあったのかもしれません。
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