そもそも「地下アイドル」でアイドル活動の収益のみで生活できている人は、わずかな数といっていいだろう。
よほどの大手事務所でない限りまともな給料は出ないし、物販の売り上げに応じた歩合制の事務所が多い。
いまは人気を得た松山でさえも、つい最近までゲームセンターでアルバイトをしていたように、ほとんどのアイドルが、アルバイトなど別の仕事で生計を立てている。
そして、これはあまりイメージされないことだが、アイドルは間違いなく「肉体労働者」だ。
「バイトや学業」→「レッスン」→「ライブハウス」の往復。その合間には「ネット配信」に「SNSの更新」。
キラキラした世界感や「夢」「希望」という言葉でかき消されがちだが、そんな日々を毎日のように送ると、肉体も精神もボロボロになる。
知りたくない裏側かもしれないが、相当に過酷な世界である。そんな中で人間不信になるような出来事に遭遇すれば、そのつらさたるや相当なものだろう。
「もう、とにかく早く逃げたかったですね。その頃が一番つらかったです。それでちょっとフェードアウトしてから、活動を再開させてもらいました……」
この体験が、松山あおいのメンタルを恐ろしいまでに強く、強靭なものに育て上げたといっていいだろう。松山は休息を挟み、見事に復活を遂げる。
「セルフプロデュースアイドル」として突き進む
そこからは事務所に所属しない「フリーの立場」で活動する「セルフプロデュースアイドル」として突き進むこととなる。松山がキャッチフレーズとする「クリエイティブうたのおねえさん」の誕生である。
「もともと作ることが好きで。『まずは衣装を作ろう』となりました。それをきっかけにして、作れるものは全部自分で作っちゃおうって。グッズのTシャツも最初は手刷りで30枚作りました。これが手作りのグッズの一番最初ですね。ワンマンライブでも着てきてくれたファンの方がいて、その頃のこと思い出して、すごく嬉しかったです」
実際、セルフプロデュースのアイドルは多々いるが、ひとりでやることには限界がある。けれども、松山はそれすら感じさせない「クリエイティブにおける継続力」を見せ続けた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら