21歳「最底辺"地下アイドル"」襲った超過酷な現実 「騙す大人が多くて…」松山あおいの下剋上人生

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そもそも「地下アイドル」でアイドル活動の収益のみで生活できている人は、わずかな数といっていいだろう。

よほどの大手事務所でない限りまともな給料は出ないし、物販の売り上げに応じた歩合制の事務所が多い

いまは人気を得た松山でさえも、つい最近までゲームセンターでアルバイトをしていたように、ほとんどのアイドルが、アルバイトなど別の仕事で生計を立てている

そして、これはあまりイメージされないことだが、アイドルは間違いなく「肉体労働者」だ。

「バイトや学業」→「レッスン」→「ライブハウス」の往復。その合間には「ネット配信」「SNSの更新」

キラキラした世界感や「夢」「希望」という言葉でかき消されがちだが、そんな日々を毎日のように送ると、肉体も精神もボロボロになる。

知りたくない裏側かもしれないが、相当に過酷な世界である。そんな中で人間不信になるような出来事に遭遇すれば、そのつらさたるや相当なものだろう。

もう、とにかく早く逃げたかったですね。その頃が一番つらかったです。それでちょっとフェードアウトしてから、活動を再開させてもらいました……」

この体験が、松山あおいのメンタルを恐ろしいまでに強く、強靭なものに育て上げたといっていいだろう。松山は休息を挟み、見事に復活を遂げる。

「セルフプロデュースアイドル」として突き進む

そこからは事務所に所属しない「フリーの立場」で活動する「セルフプロデュースアイドル」として突き進むこととなる。松山がキャッチフレーズとする「クリエイティブうたのおねえさん」の誕生である。

「もともと作ることが好きで。『まずは衣装を作ろう』となりました。それをきっかけにして、作れるものは全部自分で作っちゃおうって。グッズのTシャツも最初は手刷りで30枚作りました。これが手作りのグッズの一番最初ですね。ワンマンライブでも着てきてくれたファンの方がいて、その頃のこと思い出して、すごく嬉しかったです」

松山あおいさんが手掛けたオリジナルのグッズの数々。Tシャツなどすべて自作し続けてきた(撮影:松原大輔)

実際、セルフプロデュースのアイドルは多々いるが、ひとりでやることには限界がある。けれども、松山はそれすら感じさせない「クリエイティブにおける継続力」を見せ続けた。

次ページ「クリエイティブ継続力」の真骨頂は?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事