老子の教えは社会を生き抜くための謀略術だった 「あるがままでいい」という解釈は現代の誤解
「あるがままに」の書という誤解
本稿では、『老子』について最も多い誤解について解きたいと思います。その誤解とは、
「流れに身を任せて生きよ」
「あるがままでいい」
と説く書というイメージです。
これらは、『老子』の説く「無為」という教えを単純に「何もせず、流れに身を任せる」と解釈するなどしたために出てきたものでしょう。
とくに、非専門家の書いた一般向け『老子』入門書や、『老子』をバイブルと仰ぐスピリチュアル系の人々が、盛んにこうした論調で『老子』を紹介することもあり、この「流れに身を任せて」「あるがままに」説は、かなりメジャーな理解の仕方になっている印象があります。
しかし、現在伝わる『老子』という書物を一冊ちゃんと読んでみたときに、それが中心的なメッセージだとはとても思えない。
理由はいくつもありますが、中でも大きいのが、『老子』本文の中に、成功するという意味の「功を成す」「功を遂げる」といった表現、あるいはよりスケールの大きい「天下を取る」といった野心的な表現が何度も出てくることです。その上、そのためにはどうすればいいのかという方法論までが繰り返し説かれている。
例として、『老子』の次の一節を見てみましょう。
正当な方法で国を治め、例外的な方法で武力を用い、事を起こさないことで天下を取る(正を以て国を治め、奇を以て兵を用い、事無きを以て天下を取る)(第五十七章)
「正当な方法(「正」)」「例外的な方法(「奇」)」「事を起こさないこと(「無事」)」。これは「正→奇→無事」という天下を取るための三つのステップという基本戦略の話なのです。
「流れに身を任せよ」、あるいは「あるがままでいい」という話の中に、こんな「天下を取る」ための戦略が出てくるのはどう考えてもヘンでしょう。
では、『老子』には、何が書かれているのか? 『老子』が説くのは、
「いかに自分の身を安全圏に置きながら、物事を成し遂げるかの理論と技術」
である。要は、人間社会を生き抜くための処世術であり、謀略術なのです。
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