老子の教えは社会を生き抜くための謀略術だった 「あるがままでいい」という解釈は現代の誤解
それまでの古い国家の運営は、極端な言い方をすれば、自分の政策が天の意志にマッチしているかどうかがすべてでした。そのため、為政者は事あるごとに占いをし、お祓いをし、天にお伺いを立てていました。
ここにあるのは、「物事は、人間の意志や行動だけでどうこうなるものではない」「人間の次元を超えたところにこそ、物事を左右する力が存在する」という考え方です。
しかし、晏嬰の発言を見ても分かるように、そうした気分も、時代が戦乱期になるにつれて、希薄になっていきました。
というのも、各国の王や知識人は、富や領土へのあくなき欲望の中で戦争や権力闘争を繰り返すうち、天といった人間を超えたものに従うよりも、自分自身が行動を起こし、競争の世界に飛び込んで勝利するほうが「成功」のためには、はるかにものを言うように感じたからです。
彼らの心中には、こんな言葉があったのではないでしょうか?
「占いをする暇があったら、政策や戦略の一つも立てたほうがいい。物事の結果は、自分の行動次第でどうとでもなる。天など知ったことか!」
実際、戦国時代の思想・哲学には、彼らのそんな考え方を裏書きするものが見られます。
例えば、当時の兵法書『尉繚子(うつりょうし) 』は「いくら天を占っても人事を尽くすことには及ばない(天官時日は人事に若かず)」(天官篇)と説きましたし、儒教のビッグネームの一人・荀子(じゅんし) は人の行いと天の動きには何の関連もないとする「天人の分」という理論を提唱したことで知られています。
つまりは、ここに行動原理主義が誕生したわけです。
そんな世の中で密かに思索を深め、当時の行動原理主義に痛烈なカウンターを放った人物こそ、『老子』の著者たちでした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら