老子の教えは社会を生き抜くための謀略術だった 「あるがままでいい」という解釈は現代の誤解

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そもそも『老子』の思想は、中国戦国時代にはびこった、ある考え方を徹底的に粉砕することを目的としていました。それが、

「本人の意志と行動さえあれば、現実はどうとでも変えられる」

というもの。

これをここでは「行動原理主義」と名づけることにします。

行動原理主義は、人間の行動ではどうにもならない「力」を認めないか、その「力」を非常に軽く見積もるというところに特徴があります。

これは今でもそこらじゅうで目にするものでしょう。

例えば、ちょっと前からよく耳にする言葉として「自己責任(論)」というものがあります。

これは要は、あらゆる成功や失敗を本人の意志と努力の問題に帰して責任を問う考え方ですが、これだって根底にあるのは、それだけではどうにもならない現実(の持つ「力」)を想定しない行動原理主義なわけです。

行動原理主義は「迷信の否定」から始まった

中国において行動原理主義が芽吹き始めたのは、『老子』の書かれたときより一つ前の春秋時代(戦乱の時代はここから始まっています)。それはまず「迷信の否定」という形で出現しました。

それがよく分かる例を挙げてみましょう。

『史記』の「斉太公世家」によれば、斉国の名宰相・晏嬰(あんえい)は、人民を搾取し富をむさぼる主君・景公が、空にあらわれた不吉な彗星を恐れ、お祓いをしようとするのに対し、次のように言い放ったといいます。

「人民の苦しみと怨みの声が何万の口から出ているものを、祈禱師一人の口からお祓いをさせたところで、彗星は消えません」

このエピソードにおいて、晏嬰は「大切なのは天への祈りより、正しい政策だ」と主張しているわけです。

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