「公務員か地銀」が嫌で大学中退した61歳彼の現在 仕事はできたが、「最終学歴:高卒」は今でも…

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「公務員になるか地銀に入るか。当時は皆そういう就職しか考えていない時代でした。私も両親ともに国立大卒で、とくに父は一流会社勤務で父の世代で就職人気一位の鉄鋼会社のお偉いさん。『いい大学に入っていい企業に入るんだ』『それか銀行か公務員だ』と言われていました。でも、私にはそういう“昭和らしい生き方”は合わないと感じていたんです」

そうした葛藤に加え、店で知り合った外国人たちと大人の遊びに溺れていくなかで「谷崎潤一郎の『痴人の愛』を思い出し、このまま女性の家に入り浸り続けているとダメになると気づいたんです。非合法なクスリも目にしてしまい、それから一切の遊びを辞めました」とのこと。堅実な生き方は肌に合わないものの、倫理観は強い人だったらしい。

一切の遊びを辞めた理由

その後、中島さんはラジオ局で電話リクエストを文字にするバイトを始める。当時はバブルの夜明け前。2~3時間ほど働けば弁当も出て8,000円もらえた。

「こういう仕事をずっとしていたい……と思ってたら、中堅広告代理店の人に出会ったんです。進路について『卒業できるかわからない』と話していたら、『うちには中退してる人間いっぱいいるから気にしないよ、受けてみたら?』と。

クスリの誘いには乗らなかった私ですが、この誘いには乗ったんです。そして、スーツではなく、Tシャツのまま受けに行ったら採用。大学では100単位ぐらい取っていましたが、バカバカしくなってしまって……」

そうして中退を決意するが、当然ながら硬派な両親は大反対。

「それでも、自分には無理でした。中学の時は丸坊主で、同じ服を着て団体行動を強制され、同一の物にならされていくのがたまらなく嫌だったんです。ただ、できることなら中退はしたくなかった。大変なものを背負うという不安が8割、自分で人生を切り開いたほうが面白いという、自分を鼓舞するような心理的側面が2割ほど……という感じでした」

その後、この広告代理店の社員になった中島さん。マーケティング部に配属され、ちょうどバブル期とも重なり「酒と薔薇の日々でした」と振り返る。

「広告代理店では不動産と証券会社を担当。派手な色のソフトスーツで取引先に昼前に行くと『なんか食べに行くか』と奢ってもらえて、お昼からうなぎ、ステーキ、焼肉……という華やかな日々でした。

4月入社の高卒の受付の女の子が6月のボーナスで100万、10月に120万円もらっていた。不動産の男性も『今月2000万円ぐらいしか収入あれへんわあ』とか言ってましたね。男女ともに金銭感覚が崩れていきました」

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