世界に紅茶を知らしめた「リプトン」のすごい手法 今のSNSに通じる抜群のマーケティング力

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世界中の誰もが親しみや懐かしさを覚えるリプトン紅茶成功の裏側には、後に紅茶王と呼ばれるトーマス・リプトンが生涯をかけた夢がありました。それは、「赤ちゃんから高齢者まで安心して飲むことができる紅茶を、世界中広く、貧富の差なく、水のように飲めるような飲みものにすること」。

リプトンが生まれたのは、1850年。貧しいアイルランドの農民だった両親が、ジャガイモ飢饉から逃れるために移住したスコットランドのグラスゴーにあるスラム街で育ちました。

両親が経営する小さな食料品店を手伝いながら10歳の頃から自ら学費を稼ぎ、13歳で実業家になりたいという野望を抱き働きはじめます。15歳になると憧れのニューヨークに単身渡米。職を転々としビジネスの基礎を身につけ、19歳でイギリスに帰国すると、21歳のとき故郷グラスゴーに食料品店を開きます。

彼のモットーは、「ビジョンをもち、決断し、素早く行動すること。それがチャンスを摑み、そしてチャンスを活かす道なのだ」。

この言葉どおり、利益はすべて店舗のチェーン展開に充て、毎週のように新しい店を次々とオープン。最終的には300店舗まで拡大し、海外にまで販路を展開していきます。

ユーモアあふれる広告手法

急成長の核となったのが、彼の類いまれなマーケティングセンスです。「商売繁盛には広告宣伝が必須」と早くから気づいた彼は、自ら発信者となり次々とアイディアを打ち出しました。

たとえば、凸凹ビフォーアフターカガミ。

店の出入口にそれぞれ鏡を設置し、入口には痩せて映る鏡に「私はリプトンの店に行きます」と書かれた看板を、出口には太って映る鏡に「私はリプトンの店から出てきました」と書かれた看板を立てたのです。まるで、遊園地にあるようなアイディアカガミ見たさに客が次々と店に押しかけました。

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