世界に紅茶を知らしめた「リプトン」のすごい手法 今のSNSに通じる抜群のマーケティング力

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徹底的に消費者の立場に立った商品づくりが顧客の心を摑み、〝リプトン以外の紅茶は飲めない〞という心理にさせ、ティーパッカーのパイオニアとして、一躍イギリス中に名を馳せたのです。

イギリスで成功者となったリプトンには、もう1つの使命がありました。紅茶を世界中に広めることです。次に挑んだ戦略は「Direct from the tea garden to the tea pot(茶園から直接ティーポットへ)」。つまり、茶園経営に乗り出したのです。

彼が目をつけたのは、インドの隣にある小さな島国、セイロン島(現在のスリランカ)です。1890年、自ら現地へ出向き、次々と茶園を買収、コロンボ市内に「リプトンサーカス」と呼ばれる拠点を起き、大規模プランテーション経営をはじめます。

日本で初めて発売されたのもリプトン

彼はオーナーとしても類いまれなビジネスセンスを発揮し、翌年には所有茶園の茶葉がロンドンオークションで史上最高値を記録。名声は海を越えて広がりました。

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世界マーケットを相手に「茶園と消費者をダイレクトに結ぶ商取引」を成功させ、「ユニオンジャックはためくところ、リプトン紅茶のない国はない」といわれるほど、イギリスを代表するグローバル企業へと成長させたのです。

この功績によりリプトンは、王室御用達の栄誉を授かり、1898年にはヴィクトリア女王より「Knight(騎士)」の称号を、1902年にはエドワード7世から準男爵の称号を授かり、貧しい労働者階級出身の彼が「サー・トーマス・リプトン」として、英国貴族の仲間入りを果たしたのです。

ちなみに、日本で初めて輸入販売された紅茶もリプトンです。昭和時代、「リプトンイエローラベル」は日本人にとって紅茶の代名詞となり、紅茶=セイロンティーというイメージが広まりました。

リプトンは大富豪になってからも私利私欲に走ることなく、「商売ほど楽しいものはほかにない」 と書かれた座右の銘を掲げたオフィスで1人夜を明かすこともあったといいます。

ぜひ、リプトン紅茶をいれる際には、彼が実践したさまざまなイノベーションと、そこにある想いも味わってみてください。

藤枝 理子 ティースペシャリスト/英国紅茶&アフタヌーンティー研究家

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ふじえだ りこ / Rico Fujieda

大学卒業後ソニーに勤務。会社員時代のお給料と休みはすべて、日本全国、そして海外の茶博物館・陶磁器美術館・ティーロード探検にあてる。紅茶をライフワークにしたいと仕事を辞め、イギリスに紅茶留学。本物の英国文化としての紅茶を、一般家庭の暮らしから学ぶ。同時に、ヨーロッパ各国の生活芸術を研究。帰国後、東京初となる自宅開放型の紅茶教室「エルミタージュ」を主宰。英国スタイルで紅茶の歴史・文化・マナーをトータルに学べる新しいトレンド「大人の教養サロン」と注目を集める。著書に『サロンマダムになりませんか?』『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?』など多数。

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