「保守王国」石川の"空気"から見えてくるもの 「裸のムラ」五百旗頭監督が語る地方局の可能性

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一つ目の答えは前作『はりぼて』の中で示唆されていたが、今作のディレクターズ・ノートにはっきりと記されている。

〈社会を覆う空気はテレビ局をも支配し、(略)忖度がはびこり同調圧力が強まった。社内の空気はドキュメンタリーの表現領域にまで押し入ってきた。頭に血が上り、平常心を失った。私は、報道部会に経営トップを呼び出した。/表現の自由の前に立ちはだかる経営論理。気づけば言い放っていた。/「あなたは独裁者です」/表現者として死して、会社に残るか。表現者として生きて、会社を去るか。迷いはなかった〉

退社の経緯を振り返った後、記述はこう続く。

〈今思えば、あの時から世の空気を描くドキュメンタリーを作ることは宿命だった。(略)ローカル局の内側に染み込んだ空気によって傷を負った制作者として、その源を探り、見えない空気を映像化するのは必然だった〉
映画について話す黒い服の男性
『裸のムラ』の五百旗頭幸男監督(写真:松本創)

新天地もローカル局だった理由

では、その新天地がなぜ、予算やスタッフが潤沢で視聴者数も圧倒的に多いキー局ではなかったのか。五百旗頭監督は即答した。「それは明確に、自分の今やりたいことができるのはローカル局だという確信があったからです」。どういうことか。

「仮にキー局に移ったとして、今回のようなネタを提案しても、まず通らないでしょう。組織が大きく、いろんな横槍が入るという話はよく聞くので、容易に想像できる。政治や行政の権力を扱うとなれば、なおさらです。もちろんローカル局でも同じことは起こるわけですが、そんなことを気にしない局であれば自由に思い切ったことができる。

石川テレビにはかつて赤井朱美さんという有名な女性のドキュメンタリーディレクターがおられ、『ドキュメンタリーの石川テレビ』と呼ばれた時代があったんです。それを復活させたい、何でも思い切ってやってくれと言われたのが、とても響きましたね。実際、今の職場はかなり自由度が高いと感じています」

発信手段が多様になったことも大きい。これまでは時間をかけてドキュメンタリーを制作しても、キー局の目に留まって全国ネットで放送されるか、業界のコンクールで賞を獲るぐらいしか、広く見てもらう機会がなかった。それが近年、ローカル局が質の高い作品を映画化する動きが活発になり、ネット配信もあれば、ドキュメンタリー専門チャンネルなどもある。独自の発信により、国内はもちろん海外にも届く可能性が広がっているのだ。

さらにもう一つ、富山時代から共同作業をしてきた信頼できるスタッフが近くにいることを挙げる。今作の編集担当は、チューリップテレビから独立して現在はフリーランスで活動する元同僚だという。

五百旗頭監督の言う通り、「空気」は単純に語れない。権力構造や閉鎖的社会の中に生じる抑圧的な空気ばかり語られがちだが、小さな組織や人間関係の風通しを良くするのも、また空気だ。そして、空気と一切無縁でいられる人はおそらくいない。

石川県を舞台に地方政治から市井の生活までを子細に見つめた『裸のムラ』はローカル局ならではの秀作だが、本当の主人公は観客である私たちなのかもしれない。

松本 創 ノンフィクションライター

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まつもと はじむ / Hajimu Matsumoto

1970年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、現在はフリーランスのライター。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。著書に「第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社、のちに新潮文庫)をはじめ、『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著、講談社)、『地方メディアの逆襲』(ちくま新書)などがある。

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