石川に住む「ムスリム家族」心を閉ざす差別の重み 映画「裸のムラ」五百旗頭監督が感じたこと
━━五百旗頭さんは、カメラを避けていつもスマホをいじっていた次女にも話を聞こうとしました。観た人からは賛否があったそうですね。
多感な女子高生で、デリケートな部分もあるので、事前にヒクマさんと松井さんには、『彼女がどういう差別を受けてきたのか聞きたいんです』とお話しました。
『それは私たちもなかなか聞けないことだから聞いてください』と言われたので、あのシーンを撮影しました。ただ、撮ったあとに、彼女からこれは使わないでほしいと言われるか、雰囲気から使わないほうがいいという判断をご両親がしたときには使わない、松井さん一家とそういう取り決めはしていました。
差別の重さをどう伝えるのか
━━舞台裏ではそういう話し合いもあったのですね。
僕の予想では、彼女はおそらく(僕からの質問には)答えないだろう。それでカメラマンには、質問している僕も含めて映してくださいという指示をだしていました。
結果、答えはなかったのですが、あのシーンの撮影では、彼女が受けてきた日本社会の差別というものを描こうというのと、彼女と日本社会の距離感もきっちり出したい、それはインタビューする僕と彼女との距離の中に出てくるだろうと考えたのです。
そもそも、カメラを向けて撮影する際に、暴力性だったり、加害性が付きまとうものだというのは自覚しています。ただ、それを100%排除しないといけないといわれると、それは無理な話。もしかしたら撮影することで彼女を傷つけたのかもしれない。
でも、長年、彼女たちが受けてきた差別の重さをいかにして伝えるのか。そのための表現として僕は、あの判断しかないと思ったのです。それに対していろんな意見、批判の声が出るだろうと予想はしていましたし、実際やりすぎだという声もありました。だけどもそれは周到に準備し、細心のケアをしながらやったことで。じつはあのあと、彼女の弟とお姉さんが、すごく気をつかって、横でいろいろ話してくれているんですよね。
━━それはどんなことでしょうか?
カメラの前で、僕にはこんなことがあった、私はこうだったかなぁというのを言ってくれているんです。だけど、それは一切使わなかった。
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