地方芸術祭が掘り起こす土地の歴史と感性の融合 「大地の芸術祭2022」に見る農村文化体感の意義

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中谷芙二子の霧の彫刻(作品は9/4で公開を終了)(撮影:小川敦生)

農村に現代美術は必要か……。そんな疑問の声がある中で2000年に始まって以来、3年に一度、新潟県の山間の農村地域で開催されてきた「越後妻有 大地の芸術祭」は、数十万人を動員する大イベントだ。第8回目となる「越後妻有 大地の芸術祭 2022」は、コロナ禍のために予定より1年遅れて今年の開催となった(4月29日〜11月13日)。

本記事ではまず、今回、新たに会場として加わった同県津南町の旧中津小学校大赤沢分校について取り上げる。美術が農村に何をもたらしうるのかについて、改めて考えるきっかけになるからだ。

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この分校の開校は1986年。2011年に休校し、生徒がいないまま2021年に廃校になったと聞く。スキー場で有名な苗場山に近く、芸術祭の中心地域にある北越急行ほくほく線十日町駅からは、車を南に走らせて1時間ほどかかる距離にある。過疎化対策として始まったこの芸術祭の開催場所の中でも特にへき地と思われる場所に展示施設が新しくできたことは、この芸術祭のあり方を象徴している。

旧中津小学校大赤沢分校の展示は、山本浩二の「フロギストン」、松尾高弘の「記憶のプール」と「Light book -北越雪譜-」、深澤孝史特別企画展「秋山生活芸術再生館 -田口洋美 秋山郷マタギ狩猟映像上映-」の4件だ。

山本浩二「フロギストン」
山本浩二「フロギストン」の展示風景(撮影:小川敦生)

山本浩二の「フロギストン」は、この分校がある秋山郷で採取したトチノキやブナなどの樹木を切り出したものや写真によって、教室内に「恵みの山」を再現した作品だ。周囲に「恵みの山」は存在し続けているのだから展示は必要か? といぶかる向きもあるかもしれない。しかし、人がいなくなれば、そこが「恵みの山」であることは忘れられてしまうだろう。筆者はこの展示を見て、住んできた人々にとって山が恵みにあふれる存在だったことを改めて知ることができた。そして、人にとって山がどんな存在だったかを考える契機になった。

松尾高弘「記憶のプール」
松尾高弘「記憶のプール」の展示風景(撮影:小川敦生)

松尾高弘の「記憶のプール」は、校長室に残されていた1971年夏の写真に写っていたこの分校のプールのミニチュアを、地元の土で再現した作品だ。水の中に現れる光のホログラフィーによって、当時の光景の断片を描き出している。背後の壁にはプールが存在した当時の写真がたくさん貼られていた。

都会の人から見れば小学校にプールがあるのは普通のことと思われるかもしれないが、実は、この小さな分校にプールがあったこと自体が、極めて特殊なことだったようだ。というのも、このプールは、当時の地元の人々が子どもたちのためにわざわざ土を掘って作ったものだったからだ。分校の少人数の生徒のためにプールを作るのは、行政としてはなかなか難しいことだったのだろう。地元の人々が子どもたちを思いやる気持ちから生まれた大切なそのプールは、使われなくなって不要になり、その後なくなったようだ。

廃校になった今、実際に本物のプールを再現しても存在意義はない。芸術祭において美術作品として新たな姿で蘇らせることで、かつてプールを作った人々の思いを宿らせ、多くの来訪者に伝えることができるのだ。

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