木戸のそんな不安な胸中も、大久保は十分にくみとっていた。久々の対面では、清国の話や雑談に終始している。このとき、大久保から日清の交渉がうまくまとまったことを伝えられると、木戸は感謝の意を示したという。たとえ意見を違えることがあっても、国のことを強く思う気持ちは同じなのだ。
2日後、木戸から訪ねて来たときも、大久保はまだ動かない。碁を打っただけで政治の話は持ち出さなかった。
碁といえば、若きころの大久保が島津久光に近づき、出世するきっかけとなった重要なアイテムだ。同じ空間で静かな時を共有することで打ち解けるものがある……大久保はそう信じていたのかもしれない。
大久保と木戸の連絡役になった伊藤博文
雪解けの手ごたえをつかんだ大久保は、翌日から木戸と本格的な会談に入った。大久保の木戸への思いはシンプルで「ともに東京に帰ろう」というものだ。会談で両者は、これまでの政情を踏まえつつ、お互いの政治的立場を述べて、国の方針について実に4~5時間にもわたって意見をぶつけた。その後、再会を約束している。
これがのちに「大阪会議」と呼ばれる話し合いのスタートとなる。板垣退助、伊藤博文、井上馨も加わり、実に2カ月にもわたる議論が行われた。
なかでも重要な役割を果たしたのが、伊藤博文である。伊藤は「木戸の望みは政策のみだ」といち早く見抜くと、事前に大久保に根回しをしたうえで、木戸の希望する政治体制で皆の意見をまとめている。大阪会議では次のことが決定した。
「立憲政体へ移行するために元老院や地方官会議を設置する」
「内閣と各省を分離し、閣僚は天皇の補佐に、各省は行政事務に徹する」
「司法権の確立のために大審院を設ける」
大久保は「すべて木戸君の驥尾(きび)に付いてまでやるつもりだ」という姿勢を貫いた。「驥尾」とは「優れた人のあとに従う」という意味だ。
最終的に木戸は参議に復帰することを決めている。伊藤はかつて師の吉田松陰から「周旋家になりさふな」(交渉役になりそうだ)と評されたことがある。見事にその役割を果たしたといえよう。
しかし、伊藤がそれだけ調整したわりには、ずいぶんと時間がかかったものだ。当時、官僚の間では、大久保を「爺さん」と言い、木戸を「婆さん」と言っていたらしい。木戸は「大久保爺さん」の頑固な粘りにはいつも困り果て、一方の大久保は「木戸婆さん」の神経質で理路整然としたところに辟易としたというわけだ。
なんとか無事に木戸を復帰させた大久保。これで政体の改革は木戸に任せて、自身は内務省の整備へと邁進することができる。
自分の力を発揮するには、まずは環境づくりから――。そんな大久保の真骨頂が、大阪会議での合意を実現させることとなった。
(第50回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』(講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家(日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
瀧井一博『大久保利通: 「知」を結ぶ指導者』 (新潮選書)
勝田政治『大久保利通と東アジア 国家構想と外交戦略』(吉川弘文館)
清沢洌『外政家としての大久保利通』 (中公文庫)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』(ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵”であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)
松尾正人『木戸孝允(幕末維新の個性 8)』(吉川弘文館)
瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』(講談社選書メチエ)
鈴木鶴子『江藤新平と明治維新』(朝日新聞社)
大江志乃夫「大久保政権下の殖産興業政策成立の政治過程」(田村貞雄編『形成期の明治国家』吉川弘文館)
入交好脩『岩崎弥太郎』(吉川弘文館)
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