運を味方にできる人と見放される人の決定的な差 「自分は成功する」と期待し集中力を発揮できるか

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もちろん科学者の主張には相応の裏づけがあるはずなのだから、何の知識も持たない素人に彼らの言い分を覆すことはできないだろう。しかし、いずれにしても、自分の努力が「結果」をいっさい左右しない、つまり自分のコントロールの及ばないところでなんらかの出来事が起こることは間違いなくある。だからそんなとき、私たちはそれを「運」としてまとめようとするわけだ。

fate(定め)、destiny(運命)、fortune(幸運)

興味深いのは、運について語る際の私たちが、古代の人たちがまったく違う概念として捉えていたふたつのものを一緒くたにして考えているというブラッチュリー氏の指摘である。すなわちそれは、幸運(fortune)と定めや運命(fateやdestiny)のことだ。

<fateとは、あらかじめ定められた道筋のことだ。もし、あなたがfateを信じるのであれば、それは生まれたときにすでに定められていて、もう決定されている。だからあなたがなにをしようと、人生は定めのとおりに展開し、変えることはできない。歴史を振り返っても、fateは神によって定められていて、死ぬべき定めである卑小な人間の力の及ばないものと見なされてきた。
英語では、fateとdestinyが同じ意味で使われることが多い。どちらも似たような定義があり、人生で起こる出来事はあらかじめ定められていて、取り消しも変更もできないという意味をもつ。だがdestinyのほうは、変化という意味を含む場合もある。(43ページより)

実存心理学の開拓者で精神分析医のロロ・メイによれば、destinyにはさまざまなレベルがあるのだそうだ。まず、もっとも極端なレベルには、自身の死、地震、天災、火山噴火など、“あらかじめ決められていて逃れようのない事実”がある。

対照的な低いレベルには、“打つ手はないかもしれないが、自分の行動で影響を及ぼせるかもしれない出来事や環境”がある。自分がどんな文化に生まれてくるのか、自分の人生が歴史のどの期間にあたるかなどがそれだ。

そう考えると、destinyは事前に決定されているのかもしれないけれども、こちらから積極的に行動を起こせば、destinyがたどる道筋の方向性やプロセスは変えることができるということになる。

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