運を味方にできる人と見放される人の決定的な差 「自分は成功する」と期待し集中力を発揮できるか

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<fateには避けて通れないもの、目の前に揺るぎなく延びるまだ見ぬ道という意味もある。いっぽうdestinyには、自分の行動や選択が結果に影響を及ぼすという意味合いがある。>(44ページより)

destinyはつくり出すもの

かたやfateには、“避けられないもの、目の前に揺るぎなく延びるまだ見ぬ道”という意味があり、destinyには“自分の行動や選択が結果に影響を及ぼす”という意味があるという。

たとえばセントフランシス大学の心理学教授であるリチャード・バーグディルは、歴史を振り返ると、私たちはfeteとdestinyを区別したと記しているようだ。確認してみよう。

<一般に、fateとは、自分では選ぶこともコントロールすることもできない局面が人生には多々あることを認めようとする概念だ。私たちの意図などおかまいなしに、人生には偶然起こる出来事がある。私たちの人生はそうした出来事によって形成されている……いっぽうdestinyとは、私たちの過去にすでに存在している不完全な要素を評価して、未来を見通そうとすることだ。つまりdestinyとは、過去の要素を未来に投影したものなのだ……ひとりの人間のdestinyは、細心の注意、努力、慎重な選択といったものを抜きにして定めることはできないだろう。>(44ページより)

対して幸運(fortune)という単語の定義に関しては哲学的にも揺れや異論がなく、それはチャンスを意味する。私たちの人生における幸運は、自身の身に“たまたま”起こる出来事、まったくの偶然で成り立っているということだ。

<よって、幸運は予測できないーーどんな幸運が訪れるのかは、神にもわからないのだ。幸運(fortune)は、ほかのどんな単語よりも、運(luck)に近い意味をもつ。私たちに幸運をコントロールすることはできないし、超自然的な存在でさえ、幸運に影響を及ぼすことはできない。私たちのfateは神の知るところではあるが、当人にはわからない。
いっぽうdestinyは、私たちが形成していくものだ。そしてfortuneはまったくの偶然の産物で、予測できず、ときに痛快なまでに摩訶不思議である。>(45ページより)

だとすれば、自分の努力や意識が相応のポテンシャルとなりうるdestinyに、多少なりとも期待したいと私は思う。

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