「角乗」東京・木場で受け継がれる伝統ワザの極意 保存会メンバーの林野庁幹部が20年続ける理由

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「難しかったですよ。子供なので水に落ちるのは怖くなかった。毎回ドボンドボン落ちながらやっていました」。工事現場の作業員をしている現在も欠かさず練習に参加。「自分でも格好いいと思っている」と笑顔を見せた。

角乗の練習に励む「東京都指定無形文化財 木場角乗保存会」ら保存会メンバー
角乗の練習に励む福田さん(右)ら保存会メンバー(撮影:河野博子)
角乗の練習に励む「東京都指定無形文化財 木場角乗保存会」メンバー
若手のホープ、武田さん(撮影:河野博子)
都立木場公園とイベント池
都立木場公園とイベント池(地理院タイルを使ってごん屋が作成)

角乗の起源は江戸時代の木材産業

木場という地名は、河口にある材木置き場、貯木場を意味する。1590年、徳川家康は豊臣秀吉から関東の移封を命じられ、江戸に拠点を移した。江戸城を築くために旧領地の三河、尾張、駿河、紀州などから材木商を集めた。1603年に家康が幕府を開き江戸時代が始まる、江戸の町は発展し、木場には紀州、土佐、木曾をはじめ、関東では荒川や多摩川上流域からも木材が運び込まれるようになる。

木材の一大集積地となった木場で、水上での輸送、仕分け、保管、検査などに携わったのが「川並」と呼ばれた技術者たち。河川や船の管理、治安を担当する幕府の奉行職を支える役目も担った。

東京木場角乗保存会の加藤元一会長(74歳)は、32歳まで川並の仕事についていた。その後、製材会社の営業に転じたが、「自由だったところが楽しかった」と独立性の高い職人だった川並時代を振り返る。

1952年11月3日、東京都は木場の角乗を都文化財保護条例に基づき、都無形民俗文化財に指定。それに先立ち、角乗技術の継承を図るため、保存会が設立された。木場の木材関連事業者の「新木場」への移転は1958年から検討が始まり、1981年に完了。1992年、都立木場公園が移転跡地にオープンした。以来、保存会は公園内のイベント池で活動してきた。

いつも練習に来るメンバーは15人前後。小学生から大学生もいるが、サークルやクラブ活動の都合などで来たり来なかったり。現在、川並経験者は会長と副会長だけだが、長年の取り組みで技を習得した人たちが若い人たちに教えている。

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