正式な学校なのに常識破り
高度成長期そしてバブル崩壊後、日本社会は長く景気停滞期に入っています。産業社会から情報社会へと移行し、経済のグローバル化が進み、今後はAI(人工知能)が人間の仕事を奪うとまでいわれています。
先行き不透明な時代とか、正解がない時代などともいわれます。そんな時代に、子どもたちをどう育てればいいのか、親たちは途方に暮れます。行政はさかんに教育改革を訴えます。この動き、実は100年前にもあったことです。
ヨーロッパでは「新教育運動」が起こりました。産業革命以降世界を席巻している、工場で働かせるのに都合がいい人材を効率よく製造するための画一的教育に対するアンチテーゼとして生まれたのが、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育に代表される、いわゆる「オルタナティブ教育」です。
「オルタナティブ」は「別の選択肢」という意味です。その世界的な風潮を受け、日本でも「大正新教育運動」や「大正自由教育運動」などと呼ばれるムーブメントが起こったことは有名です。
一方、日本の学校システムは全国津々浦々どこにいても同じ教育を受けられるように設計されており、質が一定に保たれている一方で、私立の学校であっても個性的な教育を行いにくい面があります。オルタナティブ教育を実践しようとしても、なかなか一条校(法律上正式な学校)には認めてもらえません。
しかし1992年、常識破りな一条校が和歌山県橋本市に誕生しました。「きのくに子どもの村学園」という変わった名前の学校です。もともとは小学校から始まり、のちに中学校、高等専修学校(高等学校と並ぶ正規の後期中等教育機関。中等教育とは、一般的には中学校と高校の課程を示す言葉です。一定の要件を満たした高等専修学校を卒業することで、高校を卒業しなくても、高校の卒業生と同等以上の学力があると認められ、大学への入学資格を得られます)もつくられました。寮もあります。
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