しかし、これが平成バブルを機にすべてが変わった。バブル崩壊ではない。バブルの盛り上がりがこれを壊したのである。つまり、まじめに努力するという風潮が失われた。欧米に追いつき追い越すという目標を失い、方向性がわからなくなった。努力もしなくなった。個人レベルでも組織レベルでも、おごりが広がった。個人と組織が一体化していた良さは「組織にたかる」「利用する」という一体化の悪用に転じた。一流企業の名刺を自分の人格や実力と勘違いした。
「バブルの盛り上がり」が壊したものとは?
そして、バブルが崩壊すると、バブルによって腐っていた組織と個人が、外部からの衝撃で壊れ、システム全体も崩壊したのである。破綻しなかった企業も、前述の組織内労働市場システムが破綻した。
のんびり長期のOJTなどやっている暇はなくなり、目先の売り上げ、収益がすべてとなった。人材はコストとなり、今までと違うカテゴリー、いわゆる非正規雇用を最大限使い倒すことが生き残りの手段として安直に選ばれた。腐った組織は、それでも、いままでの内部を最大限守った。正規と非正規の格差は、明らかにアンフェアであり、組織の一体性はまったく失われ、個々の働き手のインセンティブは歪んだ。
組織内部の労働市場も崩壊した。昇進機会が激減したため、競争が過度に激しくなり、フェアな競争は保証されず、えげつない足の引っ張り合いが始まった。
「競争は合理的、効率的な結果をもたらす」というのは幻想となり、むしろ、組織内でも市場においても、ほとんどの競争は全体効率を落とすことになった。無駄な競争が行われるからである。
つまり、競争に勝つための個別主体の行動は自己の価値を高めて、ライバルよりも組織(あるいは市場)にとって価値が高いということで勝とうとすればいいのだが、そうではなく、足の引っ張り合いやライバルを倒すことにエネルギーが使われた。また上司や市場に短期的に評価されるように、見栄えだけをよくして、中身のない、中身の価値が高まらない活動ばかりするようになった。これで全体は沈んでいった。
このデメリットがほとんどなかったのが、前述の日本の高度成長期のシステムであった。組織全体、経済全体での無駄のない、全体に役に立つ努力を個人が行い、それでお互いに競争していたのである。長期安定的な枠組みの下で、フェアで価値のある適度かつ適切な競争が行われてきたのである。これが失われた。
そして、労働市場全体が機能不全に陥った。というか、もともと、変動や危機に対応できる「ロバストな」(頑健な)システムではなかった。沈む組織から抜け出そうとする個人を拾い上げる仕組みも、いや彼らを評価することができる人もいなかった。
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