第1に、雇い主と雇われる側の問題、情報の非対称性によるモラルハザードとアドバースセレクションの問題である。
要は、個人の能力と努力水準が雇い主には見えないから、誰をいくらで雇うべきか、成果をどう評価するか難しい、ということだ。どのような契約を設定するべきか、コントラクトセオリー(契約理論)という分野が1980年以降、経済学では盛んに研究された。
しかし、現実にはもっと単純で重要なのは、単に「運」をどう考えるかという単純な問題である。ある働き手のパフォーマンスが良かったときに、それが運なのか実力なのか。「たまたま」なのか「必然」なのかということだ。
第2は、第1の問題が存在する下で、組織の中で選抜が行われることである。要は、誰かを昇進させるわけだが、これは能力や努力を評価した結果であることが普通である。もちろん、前述の情報の非対称性の問題が昇進を判断し決定する側とされる側とにあるわけだが、それ以上に、組織内部での評価については、組織の外部からは結果しか観察できない、ということである。
組織自体の能力、努力の問題も
第3の問題は、組織自体の能力、努力の問題がある。働き手個人と同じように、経済の中で、競争があり、栄枯盛衰がある、ということである。どんな優秀な人がどんなに頑張っても、だめな組織の泥舟に乗っていては沈んでしまう。また、その組織が悪くなくても、業界や本拠地の国籍により、運悪く衰退を余儀なくされる場合もある。
財市場という経済環境、株式市場という資本市場、それらの中で競争している組織があり、その個々の組織の中で働く個々の働き手。彼らに、「働き手の適材適所」「個々人の努力とインセンティブ」「人的資本の蓄積」という前出(1)~(3)の3つ((2)は2つあるから4つといってもよい)をどう適切に行わせるか。それが短期の景気も中期の経済成長も長期の経済発展も決める。
日本経済はかつて順調に発展していたが、現在停滞し続け、衰退の恐れが見えてきているのは、この3つがかつてはバランスよく実現していたいっぽう、現在はうまく機能しなくなってきているからだ。
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