では、1950年代、60年代の高度成長期の日本はどうであったか。まず(1)の働き手の適材適所は完璧だった。
なぜなら、一生懸命目の前の仕事を頑張らせることが企業にとってすべてであったから、よい人材とは、無色透明のまじめで努力家であるだけでよかった。向き不向きなどない。どの企業がほしい人材も同じだった。だから、ミスマッチは存在しなかった。
次に、(2)の努力とインセンティブは、目の前のことに頑張る人材を採用しているから、努力量のインセンティブは普通に少し与えれば十分だった。また、頑張る方向性は考える必要がなかった。なぜなら、高度成長期は、欧米に追いつき追い越せ、彼らと同じものをより効率的につくり、次に改良することがすべてだったから、企業も個人も、どの方向に向かう、という問題自体が存在しなかった。量のインセンティブだけでよかったから、単純な仕組みでよかった。
そして、(3)の人的資本の蓄積であるが、これは、日本経済が成長するとともに、企業も生産効率化、品質改良そして周辺産業、海外への進出という好循環で成長・発展した。それゆえ、組織の中で個々人が頑張れば、個人にも組織にも経済全体にも最適な人的資本が蓄積された。完璧なOJTであった。企業もこれを理解していたから、社員の人的資本への投資を惜しまなかったし、成長させるための配置転換、昇進をデザインした。短期的にも中期的にも人を育てることを重視する価値が、個人以上に企業にもあった。
「個」も「組織」も、何も考えなくてもよかった
個人レベルでの(1)から(3)が完璧であっただけでなく、やはり前述した「組織が関与することによって生じる3つの困難」も、ほとんど存在しなかった。あるいは顕在化しなかった。
まず、第1の採用の問題は、素直で努力家という1つの軸で判断したから、選抜が容易だった。また、第2の評価や昇進の問題についても、企業が持続的に成長し続けたから、個々の働き手を長期間雇用し、時間をかけて評価を行うことができたから、より的確で公平な選抜、昇進が行われた。
個々の働き手もそれに納得できた。社員での間の評価、評判と昇進決定がそれほどずれていなかった。そして、昇進した社員とそうでない社員との生涯所得の差は、欧米に比べれば非常に小さかった。ほとんどすべての頑張った社員に報いることができたし、それが可能だった。だから、社員も頑張って、結果は気にしなかった。
中途採用が増えなかったのは、素直で努力家の人材はつねに希少だし、ほかの企業もそのような人材を手放さないし、また、破綻する企業は少なかったから、船が沈んで抜け出してくる優秀な人材はほとんどいなかった。船から脱出して漂流している人は、船ではなく、その人に問題があるのではないかと懐疑的に見られた。だから、第3の問題もほとんど存在しなかった。
これは非常に美しく、便利なシステムだった。個人も企業もほとんど何も考えなくてよかった。ただ頑張ればよかった。ダイナミックな思考、構造変化の思考は要らなかった。だから、どんな企業でも、そこそこうまく経営できたのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら