そのほか、第2次世界大戦のモスクワ郊外の戦い、スターリングラードの戦い、クルスクの戦い、レニングラード解放、カフカス解放戦、独ソ戦勝利、第2次世界大戦終了(対日戦)が含まれている。
このように、ロシアによって戦われた数々の戦争とその勝利は、軍事的栄光として法的にも記憶されている。その中でも5月9日の対独戦(大祖国戦争とも呼ばれる)勝利の記念日は、今でも最も重要な国家的祝日として、諸外国の首脳まで招待して盛大に祝われている。赤の広場では軍事パレードが挙行されるので有名である。
ロシア国民にとって戦争というのは単なる歴史の一コマではない。“ロシアの偉大さ”を守るという愛国的なロシアン・イデオロギーを形作っている重要な要素なのである。そして、戦勝はまた“偉大さ”の証でもある。
守られるべきロシアとは、イリインの思想で明確に述べられているような「神において見られるロシア」、すなわち「聖なるロシア」でもある。というのも、こうした戦争はロシアを護り給う神、ロシア正教と密接に関係しているからである。
ロシアの英雄であるアレクサンドル・ネフスキーやドミトリー・ドンスコイはロシア正教会によって聖人に列せられている。また、ロシア正教会は、アレクサンドル・ネフスキーの勝利750周年や、ドミトリー・ドンスコイの勝利600周年を記念する祝典を開き、祖国のために犠牲になった兵士を追善供養し、ロシアの愛国主義を鼓吹している。
ロシアにおいては、戦争とは多大な犠牲を払って祖国を守るという「神聖な」愛国的行為とみなされているのである。こうしたことは、ロシアだけに特有のことだというわけではない。日本でも元寇に際して神風が吹いたといった伝説や、「神国日本」とかの表現があり、日本各地には護国神社があり、日本を護るよう神の御加護を祈っている。
神道が日本に固有の、そして日本のための宗教であるように、ロシア正教もまたロシアに固有の、ロシアのための宗教、つまり「護国宗教」だということだ。キリスト教という普遍宗教でありながら、“ロシア”の地に根付いたナショナルな護国宗教を本質としているのである。
ロシアン・イデオロギーが戦争を正当化
戦争は「神聖な」愛国的行為として、護国宗教としてのロシア正教会によって「肯定」されているため、“ロシアの地”を護るというパトリオティズム、祖国愛を基礎とするロシアン・イデオロギーによってもまた正当化されることになる。
イデオロギーの一般理論を研究した20世紀フランスの哲学者であるルイ・アルチュセールは、イデオロギーは物理的な実践によって現実化されると述べている。ここでいう物理的な実践とは、人間主体の行為のことである。教会における祈りの儀式に参加したり、学校に通ったりといった行為である。
こうした行為を通じて、イデオロギーは人間主体にとって現実のものとして機能し、人間主体は意識的に、あるいは無意識的にその背後にあるイデオロギーを受け入れることになる。
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