ピケティはここで、バルザックやオースティンの小説を盛んに引用して、19世紀の社会がどんな風であったかを描き出している。そんなの、普通の日本人が読んでるわけないだろ!ということで、ここはシャーロック・ホームズを引き合いに出してみよう。
金持ちが投資家として生き続けるのはハードルが高い
19世紀末の英国において、人気月刊誌「ストランドマガジン」を飾ったあの小説群は、全体の半分ぐらいを「遺産相続」ネタが占めている。
ほら、『まだらの紐』も『赤毛組合』も、犯人の動機が遺産狙いだったり、奇怪な遺言書が出てきたり、そういうのばっかりでしょ?当時の読者が、いかに相続を日常的に気にしていたかがわかるじゃありませんか。
ピケティの試算によれば、19世紀の欧州では国民所得の4分の1くらいを相続による所得が占めていた。その場合、資本ストックのほとんどが相続に由来していたことになる。それじゃあ個人が努力して自前で得る今の稼ぎよりも、親や親族から受け継ぐ古い財産の方が重きをなすことになる。嫌な世の中ですなあ。
思えば20世紀初頭の日本を描いた夏目漱石の作品でも、『それから』の代助は親がかりで暮らす「高等遊民」だったし、『こころ』の「先生」も仕事をせずに親の遺産で生活していた。日本もほんの100年前までは、g(勤労所得)ではなくr(不労所得)で生きている階層が立派にあったのだ。
これからの日本社会も、再びそういう時代に戻るのだろうか。「低成長で戦争がない時代」は今後も当分は続くだろう。われわれは腰を据えて、r>gの世界に直面していかなければならない。さて、投資家としてはどうしたらいいものか。
ピケティによれば、rはどの時代においても「概ね5%」だという。それは今の日本経済においては、望外の数値目標というものだ。金利はほぼゼロだし、投資信託は碌でもないのばっかりだし、対外投資は為替リスクがあり、不動産には「空き家リスク」がある。人口減少社会においては、rを高く維持するのは大変なことなのである。
こういう点において、日本はまことに課題先進国ということになる。格差を嘆くのもいいけれど、金持ちが投資家として生き続けるのも、結構ハードルが高いんじゃないだろうか……?
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