始まる前からほぼ負け確定「沖縄戦」の心痛む惨状 民間人も巻き込み、「美学」で戦争していた現実
飛行場といっても、軍用の飛行場というのはそう立派なものではありません。とにかく航空機が離着陸できる平らな地面を作ればいいわけです。
生えている木を切ったり岩を砕いて除去したり、土をならしたりすれば飛行場は完成です。ですが、掘削機やブルドーザーなどはないため、こういった飛行場の建設はほぼ人力で行わなければならず、人手はかなり必要になります。
そこで駆り出されたのが沖縄に住んでいた民間人です。日本勝利のための飛行場建設である!民間人も手伝うように!という指令が日本軍から出されており、沖縄では約5万人もの民間人が作業に駆り出されていました。沖縄の人々は、実際に沖縄が戦地と化す前から戦争のために尽力していたのです。
民間人の協力もあって、沖縄には離島にあるものを含めて計18もの飛行場が建設されました。
この飛行場から戦闘機を飛ばして、海上の敵を攻撃したり、島に上陸してきた敵に対して攻撃したりして、沖縄を拠点として太平洋の島々を守る!というような考えだったのですが、沖縄に飛行場を完成させたあと、日本軍は太平洋各地でアメリカ軍に負け続けてしまいます。
すると沖縄の立場は大きく変わってきます。太平洋各地の島々での戦闘で立て続けに負けたことで、物資や兵士を大量に失ってしまい、たくさんの人員や航空機を沖縄に集めて大々的に沖縄を拠点にして戦うことはできなくなったのです。
防御重視?攻撃重視?割れた意見
こういった状況になると、日本軍の中で意見が割れ始めました。守りに徹してアメリカ軍が沖縄を攻略するまでの時間を少しでも稼ぐのか、それとも沖縄でも決死の覚悟でアメリカ軍を徹底的に攻撃しにいくのか。この「防御重視」か「攻撃重視」か、で意見が割れてまとまらなくなってきたのです。
防御派は、ここまで負け続けていて、沖縄だけ奇跡的に勝利できるなんてことはないだろう……どんなに頑張っても、沖縄がアメリカ軍の手に渡るのは時間の問題だろう……となれば日本本土での戦いのために、沖縄では防御を固めて少しでも時間を稼いでもらって、悪いけど沖縄には捨て駒になってもらうしかない……という主張でした。
それに対して攻撃派は、沖縄は大切な日本の一部だろ!沖縄を捨て駒にするなんて、そんなことをしたら他の戦地で亡くなっていった者に対する示しがつかない!沖縄でも派手に戦うべきだ!といった主張で、どちらの意見もわからなくはない……という感じでした。
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