始まる前からほぼ負け確定「沖縄戦」の心痛む惨状 民間人も巻き込み、「美学」で戦争していた現実

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沖縄平和祈念堂
沖縄県糸満市摩文仁にある沖縄平和記念堂(写真:ゆうさん/PIXTA)
1945年8月15日の終戦から今年で77年。戦争を知らない世代が増える中、あらためて、太平洋戦争の実情を知ることによって、平和を考えるための重要な基礎になります。今回は民間人を含む多数の死傷者を出した「沖縄戦」について、新著『教養として学んでおきたい太平洋戦争』を上梓した、歴史系・教養系ユーチューバーのドントテルミー荒井氏が解説します。
前回:戦後77年、改めて学びたい「太平洋戦争」勃発の訳

日本にとって沖縄が極めて重要だったワケ

日本本土への空襲を行いながらも、アメリカ軍は太平洋での進軍を緩めませんでした。戦争が終盤になってくると、ソロモン諸島、ニューギニア島、フィリピン、台湾と攻めていき、アメリカ軍は島伝いにどんどん日本本土へと迫ってきていました。

ここまで近づくと、とうとうアメリカ軍の日本本土上陸が見えてきます。日本本土にほど近い島に部隊を集結させて、一気に大量の陸上部隊で日本本土に攻め込んでくるという最悪のシナリオが現実味を帯びてきていたのです。日本本土への空襲が行われている中、実際にアメリカ軍が日本本土へと攻め込んできたとなると、いよいよ日本の降伏も現実的なものとなってきます。

そんな中、次のアメリカ軍の標的となったのは、沖縄です。沖縄は、今までアメリカの手に渡った島々と日本本土の間にある最後の大きな島です。そのため、日本からすると、アメリカ軍の日本本土上陸を食い止める最後の拠点として極めて重要な島でした。

そんな沖縄について当初日本軍は「沖縄からたくさん戦闘機を飛ばして、空からアメリカ軍を迎え撃とう!」と考えていました。そのため、沖縄が戦場となる前から、沖縄には大量の飛行場が造られていました。

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