始まる前からほぼ負け確定「沖縄戦」の心痛む惨状 民間人も巻き込み、「美学」で戦争していた現実
考えてみると、身を挺しての防御!または身を挺しての攻撃!どっちにするか!といっても、どちらにせよ日本の勝利はないわけです。そもそも勝利というゴールが見えない中で話し合いが行われているので、意見はまとまりようがありません。
正直沖縄まで攻め込まれる想定をしている時点で、99.9%戦争で日本が負けることは確定しているようなものです。
ここまで各地の戦いで負け続け、兵器も兵士も失い続けている日本軍が、今から攻めてくるアメリカ軍を全部倒して、失ってしまった太平洋の島々を全部取り返して、アメリカ本土に乗り込んでいってアメリカを制圧!というのはまったく現実的ではありません。
つまり、沖縄をめぐっての軍内での話し合いは、「どう勝つか」ではなく「どう負けるか」の話し合いになってしまっているわけです。
どのような作戦でアメリカ軍に勝つかという前向きな目標があれば、軍内も一丸となって建設的に作戦を立てられますが、誰も日本が勝つための戦術を立てられないとなると、「どのような作戦で勝つか」ではなく「各々がどのように戦ってどのように死ぬか」しか考えられないわけです。
本土での戦いを少しでも有利にするために捨て駒となって散るのが良い!いや、最後まで攻めを貫いて華々しく散るのが良い!というのは各々の「戦の美学」といった次元の話し合いにすぎないわけです。
こういった様子で沖縄においては、軍の上層部も現地の指揮官も一貫した作戦を立てられないまま、その場その場の美学で戦争をしてしまうことになるのです。こういった軍の判断に沖縄の民間人も大きく振り回されてしまいます。
念入りに攻撃をしてから上陸したアメリカ軍
日本軍の話し合いは一向にまとまりませんでしたが、アメリカ軍は容赦なく沖縄に迫ってきます。
アメリカ軍は沖縄上陸に先立ち、沖縄沿岸に膨大な量の艦砲射撃や爆撃機による爆撃を行いました。上陸して戦う前に、安全な海や空から徹底的に攻撃をしておくことで、上陸戦を少しでも有利に進めようとしたのです。
沖縄上陸の9日前にあたる3月23日から、アメリカ軍は戦闘機延べ2000機を動員して大規模な空襲を行いました。翌日3月24日からは約1週間に渡って上陸予定地の沖縄本島南部の海岸線へ戦艦部隊による艦砲射撃を行いました。このとき撃ち込まれた砲弾は10万発以上だとされています。およそ畳一畳につき1発の割合で徹底的に沖縄に砲弾が撃ち込まれました。
こうして念入りに攻撃がなされた後、1945年4月1日にアメリカ軍は沖縄への上陸を開始しました。
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