東洋一のマンモス団地「松原団地」60年経った今 建て替えが進み…大きくイメージが変わった

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都市型洪水が解決するころになると、松原団地の入居開始から30年が経過していた。その間に団地へのアクセス路線の東武伊勢崎線は爆発的な乗客数の増加を受けて高架複々線化事業を行っていった。1997年には松原団地駅もほぼ現在のような駅の姿になり、駅改札の位置も変わった。

1961年に開業した松原団地駅。2017年には獨協大学前<草加松原>駅と改称された(筆者撮影)

同時期には駅西口の再整備が計画された。主な内容は高層賃貸マンションを中心とした複合施設を建設し、駅前広場を移設するというもので、1996年に事業を開始した。1999年には30階建ての高層賃貸マンション「ハーモネスタワー松原」が完成し、翌年には草加市中央図書館の入る複合施設が完成した。

さらに駅前の再整備と並行して、住民の入れ替わりも増えていった。2000年の国勢調査を見ると、再開発が行われたA地区を除いた3地区平均で居住年数10年未満の住民は全体の36.4%、5年未満に絞れば19.4%だった。

こうした入れ替わりは、団地住民が近隣エリアで一軒家を購入し、家族ぐるみで転出したこと、また松原団地が市場家賃よりも家賃が安く、若い世代や民間の賃貸住宅に入居できない高齢者が転入してきたことが理由として挙げられる。

特に高齢者の転入は高齢化率を押し上げた。1995年の国勢調査では高齢化率は10%台半ばであったが、その後は5年ごとの国勢調査で大きく高齢化率はあがり、2005年には46.7%になった。

この頃になると、入居開始当初は最新鋭の設備だった居室も40年が経過し、そのあいだに住宅のスタイルが多種多様になったこともあって、時代遅れの設備が目立つようになった。また日本住宅公団も組織と役割を変化させていったことなどから、なかなか既存の住宅へのフォローアップも進まず、設備の老朽化や住民の高齢化といった言葉が団地のイメージにつきまとうようにもなっていった。

2003年から始まった建て替え事業

2000年代に入り、高齢化や設備の老朽化が深刻になるなか、2003年から松原団地の建て替え事業がはじまった。約60ヘクタールの広大な敷地で324棟の住棟が関わる巨大事業であるため、UR都市機構、草加市、そして松原団地に隣接する獨協大学の3者連携の下で5期に分けて進められている。

建て替え事業の大きなポイントは住棟の集約にある。324棟の住棟をすべて取り壊し、旧A地区と旧B地区に新しく建てた中高層の住棟30棟に集約を図った。

住棟は大きくなったと同時に配置については同じ方向を向いていた従来のスタイルを転換し、住棟によって向きを変えた。そのうえで新団地内の敷地が周囲に対して閉じた空間にならないように広場やプロムナード、歩道を整備し、多世代共生に向けて子育て支援施設や高齢者福祉施設を誘致した。住戸については多様化する生活スタイルに合わせ、菜園テラスがついた住戸やペットと共生できる住戸など多様な住戸構成とした。

松原団地を建て替え、誕生した「コンフォール松原」(筆者撮影)

新しい住棟から構成される住宅団地は「草加松原団地」からUR都市機構の展開する賃貸住宅のブランド名をとって「コンフォール松原」になった。

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