中村哲さん「アフガン復興」21年取材で見た想い 現地の人とともに生きてきた、その人物像とは
――中村哲さんの活動を1998年から21年間、取材してこられました。きっかけはどんなことだったのですか?
会社の先輩から「こんな本があるよ」と手渡された中村医師の著書『ダラエ・ヌールへの道』を読んで、頭を殴られたような衝撃を受けました。アフガニスタンの山岳地帯に診療所をつくるまでの過程が描かれていて、中村医師の世界の見方が随所にあらわれていました。
文章は力強く、こんなドクターがいるのかという驚きがありました。中村医師は伯父で作家の火野葦平さんを敬愛されていましたが、天与の才があったのだと思います。すぐに取材したいと思いました。
医師が不在の地域で診療
――映画にも出てきますが、最初の取材はヒンズークッシュ山脈の医師のいない地域での巡回診療ですね。
馬に医薬品とテントと食糧を積み、5、6人のチームを組んで山の中を診療して回るのです。中村医師は小柄な方で、馬に揺られているときは目を半分閉じて、よれよれの作業服を着た風采の上がらないおじさんという感じでした。
馬で1日半かけて標高3550mの草原に到着しても誰もいない。「まあ、待ちましょう」とか言って、中村医師は草原に大の字になって高いびきで寝てしまいました。
翌朝、薄暗いうちから人の気配がするのでテントを出てみると、山の端から老若男女が下りてくるんですよ。前日、ドクターが来たことを伝令が近隣の村々に知らせたらしく、100人くらいの人が集まってきました。
そうしたら中村医師の顔が一変していたんです。目に力が宿り、口はグッとへの字に閉じられている。現地の言葉で1人ひとりの患者にやさしく対応しているのを見て、この人は本当に山の民が好きなんだなと思いました。
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