中村哲さん「アフガン復興」21年取材で見た想い 現地の人とともに生きてきた、その人物像とは

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――山の民のほうの反応はどうだったのですか?

中村医師の無償の診療に対して、山の民からの返礼は一杯のお茶だけなんです。中村医師が「ああ、おいしい」と言って飲むのを村人たちはニコニコして見ている。

巡回診療で山の民を診察する中村さん。パキスタン、アフガニスタン国境付近。1998年6月 ©Nihon Denpa News Co.,Ltd.

カメラマンとしてはあるまじきことなんですけど、カメラを置いてこの光景を見ていたい、と思いました。中村医師と山の民の強い絆はカメラでは撮れないなと。そのときの印象があまりにも強烈で、中村医師に引き込まれてしまいました。

――25回もアフガニスタンに取材に行かれたそうですが、治安の心配は?

私が所属する日本電波ニュース社は制作会社なので、テレビ局にドキュメンタリー番組の企画を出して採択されたら取材に行くということが多いんです。ただ、アフガニスタンは危険地域だから、どのテレビ局も採択はしてくれません。21年間、勝手に取材に行っていたのが実情です。撮ってきた映像はNHKのドキュメンタリー番組などで放送されました。

中村医師が治安の状況を見て「今なら来ていい」と言われたときに、全ての取材ではないですが、1人で行くことが多かったですね。中村医師に会えると思うと、もう喜びしかなかったですね。アフガニスタン人のスタッフとも友人になって歓迎してもらいました。2週間から1カ月くらい、中村医師や現地のスタッフと同じ宿舎に滞在しました。

武勇伝を語らない中村さん

――中村さんはアフガニスタン人と難工事に挑み、用水路を完成させます。なぜここまで彼らに信頼されたのでしょうか?

戦乱と干ばつに苦しむ人たちは、用水路を掘ってみんなで生きようとする中村医師に希望を見たのだと思います。

自ら石をかついで泥まみれになるリーダーにアフガニスタン人は驚いた。2006年4月 ©Nihon Denpa News Co.,Ltd.

言葉ではなく行動するから伝わるんです。たとえば、現地では「正しく勇敢」な男が尊敬されます。中村医師は用水路の土地を確保するために、軍閥の親分の家に側近と2人で交渉に行きました。ロケット砲や戦車まで持っている親分なので、怖くて誰も行けなかったんですね。

その親分は「2人だけで丸腰で来るとは見上げた男だ」と言って用水路を通す許可をくれました。実際の工事のときも、みんなが怖がってやらないので中村医師がパワーショベルで親分の家の壁を壊したそうです。

こういう武勇伝はたくさんあるのですが、中村医師は自分では一切語りません。でも、アフガニスタン人の間にはサーッと広がっていく。そういうところから信頼感が生まれ、強い組織ができていったのだと思います。

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