敗戦に向かい合った日本人の精細描写に見える事 山田風太郎「戦中派不戦日記」の観察眼に学べ
皇国少年にとって「天皇」とは?
加藤 陽子(以下、加藤):いま戦争について考える上で必読の書として、山田風太郎『戦中派不戦日記』(初版1973年、新装版、講談社文庫、2002年)を挙げたいと思います。
奥泉 光(以下、奥泉):1922(大正11)年生まれの山田風太郎は、戦争の犠牲者が最も多かった世代に属しますが、彼自身は戦争に行っていない。医学生だったので、徴兵されずに内地にいて、その意味では、世代は違いますが、『暗黒日記』(初版1954年、ちくま学芸文庫、2002年)の清沢洌と同じような位置にあって、戦時中の日本の状況についての証言をなした。
山田風太郎という人には親がいないんですよね。懐かしむべき故郷もない。これは特異な状況で、『戦中派不戦日記』に独自の個性を刻むことになった。このことはたとえば『砕かれた神』(初版1977年、岩波現代文庫、2004年)の渡辺清と比較するとよくわかります。
渡辺清は志願の少年兵として海軍に入った人で、戦艦「武蔵」に乗艦していたときの体験をもとに『海の城』(初版1969年、朝日選書、1982年)という小説を書いているんですが、そのなかで天皇についてこう書いている。
「おれが天皇というとき、そのなかには同時に両親や兄妹、村のおじさん、おばさん、かわいい子供たち、そして馴染みの山や川や森……。つまりこの国土の一切をそこに含めているのだ。そういうものをすべてひっくるめて、総称的な意味で、それをおれは天皇といっているのだ」。天皇と言ったとき、自分が言うのは天皇個人じゃないんだと。超越的な神というのでもない。故郷とか家族とか、そういうものの総称としての「天皇」なんですね。