敗戦に向かい合った日本人の精細描写に見える事 山田風太郎「戦中派不戦日記」の観察眼に学べ

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奥泉:8月15日が近づいて、日本の敗戦が避け難くなったとき、それまで日本の科学性の欠如を批判していた作者が、合理性をかなぐり捨てたかのように徹底抗戦を主張する。敗北が決して、はじめて心から日本を愛せるようになる。そのあたりは痛々しく、感動的です。

8月14日の日記では、日本の科学的思考の欠如や、個性を尊重しないで「ドングリの大群のごとき日本人」しか生んでこなかった教育の失敗といった、今日の窮状を招いた原因を長々と分析したあとでこう書きます。

「新兵器なく、しかもかかるアメリカ人を敵として、なお敗れない道が他にあるか? /ある!/ただ一つある。/それは日本人の「不撓不屈」の戦う意志、それ一つである」

本土決戦、一億玉砕へ一気にジャンプ

本土決戦、一億玉砕。徹底して戦うべきなんだというところに一気にジャンプする。このへんはドラマチックです。思考と感情の燃焼というか、自己と国家というものが直接ぎしぎしと擦れ合って、烈しく熱を放っている感じがします。

そのあと友人たちとかたらって、戦争継続運動を組織しようなんて相談する。そのために檄文を書いて撒こうと考え、文案を考える。「日本人よ!/諸君には、日清日露戦役以来、無限の血潮を流した忠魂のすすり泣きが聞こえないか。/満州、台湾、朝鮮をおめおめ敵に渡し得るか」/「山に入れ、壕を掘れ。徹底的に分散疎開せよ、ただ頑張るのだ。親が死んでも子が死んでも、歯をくいしばって戦うのだ。/そのときこそ大和魂が敵を戦慄せしめ、敵を圧倒するであろう」。敗北が決したとき、愚劣だと思っていた文学的フレーズが噴出して、はじめて日本という抽象的な共同体との一体化が果たされる。

しかし、朝になってみればすべて虚しいんですね。そうして8月15日を迎える。玉音放送を聞く。するとこんな場面に遭遇する。「下に降りると、暗い台所で炊事の老婆が二人、昨日と一昨日と同じように、コツコツと馬鈴薯を刻んでいる。その表情には何の微動もない。……あとできくとこの二人の婆さんは、ひるの天皇の御放送をききつつ、断じて芋を刻むことを止めなかったという。こういう生物が日本に棲息しているとは奇怪である」。思索の運動とはまたべつに、こういう細かい観察が面白い。

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