敗戦に向かい合った日本人の精細描写に見える事 山田風太郎「戦中派不戦日記」の観察眼に学べ
加藤:たしかに、後世から振り返ったときに、本当に大きな歴史的事件に際して、当時の人々がどう向かい合っていたのか、それがかなり正確にわかる記録として重要です。東京大空襲の日、1945(昭和20)年3月10日の長い一日の記述を一つ読んでおきます。
「焦げた手拭いを頰かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」と、呟いたのが聞こえた。自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた」。この年齢の青年が、このような観察眼を持っていることに驚かされます。
驚きの観察眼とセンスのよい美しい文章
奥泉:観察眼もするどいんですが、描写も的確です。文学の教養を駆使した文章も美しい。センスがいいんだな。
「目黒の桜の坂、きのう雨中に満開の日を過したるとみえ、きょうはすでに散りはじむ。(……)きのうの雨路上に冷たくたまりたるに、春の雲いそがしげにゆき交うが映り、水面に浮かびゆらめく一片、三片の花弁、白き貝のごとし。春風はげしく埃をまいて虚空に上り、陽に映えて金色の竜巻のごとく、ゆく人花を満面に吹きつけられてしかめ顔するが可笑し」。この桜の描写なんかは、古典文学の響きがあります。
加藤:九段下に当時あった、大橋図書館に風太郎はよく通って、膨大な図書を借り出して読んでいました。日々の日記の最後尾に読んだ本の著者と題名が記されている。凄まじいスピードで貪るように読んでいたことがわかります。
医学の勉強はあまりせずに。それから、枢密顧問官であった財政の専門家・深井英五の本(『枢密院重要議事覚書』岩波書店、1953年)を戦後読んで、なんだ枢密顧問官といっても当時自分が考えていたことと大差ないことしか考えていない老人だ、などと言って深井を切り捨てています。高橋是清の懐刀だった人に対して、容赦ないです。時代に聳え立つ知性の持ち主でした。
前回:戦争の語りを徹底的に懐疑する小説の持つ価値(7月29日配信)
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