敗戦に向かい合った日本人の精細描写に見える事 山田風太郎「戦中派不戦日記」の観察眼に学べ

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ナショナリズムに充塡すべき、自分を無条件に受け入れてくれる共同体を持たない彼は、国家という抽象的な共同体に身を委ねるしかない。日本という国を愛するしかないと考え、日本の勝利を願う。ところが、その日本はすっかり神がかりになって、敗北は必然だと思わざるをえない。この矛盾葛藤が読みどころです。個人と国家が媒介なしに対峙している。個人と国家が直接に擦れ合って、烈しく軋み熱を帯びて行くところが、『戦中派不戦日記』の希有なところだし、いちばんの読みどころですね。

加藤:還るべき共同体から切断されているという角度から山田風太郎を読んでゆくという視点は新鮮ですね。戦後の風太郎の日記は『戦中派焼け跡日記』などの書名で続々と刊行されています。共同体を媒介としない国家への愛は、もちろん戦前・戦中で終わりを遂げるのですが、自らの知見や認識という点で、戦前の日記と戦後の日記がシームレスにつながっている人ってすごく稀なのでは。風太郎の場合、個人と国家がちゃんと屹立するところまでいっているので、敗戦前後で変わらない、面白さを失わない。

個と国家がきれいに浮かび上がっている

奥泉さんもかつておっしゃっていましたが、『二十四の瞳』や『ビルマの竪琴』のはらむ問題性(*)、都合良く設定されてしまっている「人びとの帰っていくべき場所」の有無とつながります。風太郎は幼少期に、医者であった父を亡くし、愛する母は父の弟と結婚してしまうという不幸な生育環境がありました。

ただ彼の明るさの最後の一線は、東京の都会の中で、勤労動員に行った工場(沖電気)の主任の方と信頼関係を築くことができ、旧制東京医学専門学校の学生となってからは、一癖も二癖もある、熱意のある先生たちや同級生と学ぶことができた。友がいて師がいて、でも故郷がないというところで、先ほどの天皇観も含めたときに、個と国家がきれいに浮かび上がっているのが面白いですね。

(*)奥泉光の発言。「『二十四の瞳』も『ビルマの竪琴』も、人びとの帰っていくべき場所を用意しています。それは言うならば、幻想されたアジア的自然性とも言うべきものです」、川村湊ほか『戦争文学を読む』(朝日文庫、2008年)74頁。

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