民主主義は「物語への過剰な愛情」と共存できるか 「ストーリー」のあふれる世界と権威主義の勝利
アメリカの作家ハーラン・エリスンなど、次のように語ったほど。
「どんな商品でも、ストーリーテリングを組み込むことはプラスだと思う。それがピーナツバターであろうと、コンピュータ・ゲームであろうとね。人間は〈物語を語る生き物〉なんだよ、それが人間の特徴さ。(中略)ストーリーテリングは商品の質を向上させる。組み込まれる物語が優れていればいるほど、語り手が優れていて、抜け目なく創意工夫をこらせばこらすほど、いやでも良い商品ができあがるんだ」(メル・オドム『「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」公式攻略ガイドブック』、プリマ・パブリッシング社、アメリカ、1995年、217ページ。拙訳)
社会の情報化とは、より多くの物語(ないし物語的言説。以下同じ)が世の中に流通することだったのです。とくに近年では、インターネット、わけてもSNSの発達によって、物語の爆発的増大ともいうべき現象が起こりました。
今やデジタル機器の普及により、誰もがたやすく物語の送り手になれます。同時にメディアやネットにあふれる膨大な物語の中から、好みに合ったものを選ぶことで、自分の現実認識や世界観を、いわばカスタマイズすることも可能になりました。
否、わざわざ取捨選択する必要すらありません。ネットの各種プラットフォームに設定されたアルゴリズムは、こちらの興味や関心を解析、アピールしそうな物語を自動的に選んで表示するのです。
「筋の通った意味(=指針)」のほうから、こちらにやってきてくれるとは、便利な時代になったもの。
とはいえ、このような物語の爆発的増大と、それに伴う現実認識のカスタマイズに、はたして弊害はないのでしょうか?
冗談じゃない、大ありだ!
われわれは世界を物語から救わねばならない!
こう主張するのが、ワシントン&ジェファーソン大学の英語学科で特別研究員を務めるジョナサン・ゴットシャルの新著『ストーリーが世界を滅ぼす──物語があなたの脳を操作する』(月谷真紀訳、東洋経済新報社)です。
解体されるコンセンサス・リアリティ
「世界を滅ぼす」とか「あなたの脳を操作する」と言うと、ゴットシャルが物語を〈悪〉と決めつけているかのような印象を受けますが、必ずしもそうではありません。
本書の原題は『THE STORY PARADOX: HOW OUR LOVE OF STORYTELLING BUILDS SOCIETIES AND TEARS THEM DOWN』。
ストレートに訳せばこうなります。
『物語のパラドックス──ストーリーテリングへの愛着が社会を構築し、そして解体するメカニズム』。
ゴットシャルも、時代や社会の根底には広く共有された〈物語〉があると認めているのです。
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