「統一教会」が米国に寿司を広めた知られざる経緯 日本人信者たちがいかに寿司企業を拡大したか

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しかし、モルモン教創始者のジョセフ・スミスとその直系の弟子たちによって、その歴史の大半を導かれてきた水産会社をイメージするほうが、現実のトゥルー・ワールドには近いだろう。

トゥルー・ワールドは創業以来、そのアイデンティティーの基礎となる部分、つまり誰がリーダーを務めるか、どこでどのように、いつ事業を拡大するか、年次総会でのメッセージ発信、事業が果たすべき目的、従業員が受け入れるべき犠牲とその理由などを、ビジネス界の通例に反して、直接的、または間接的に文個人の力によって形成してきたのである。

例えば、トゥルー・ワールドが1つのブランド、1つの事業として業界をリードしてきたのは、統一教会のおかげである。もともと、トゥルー・ワールドの卸売部門は正式には統一されていなかった。ヤシロがシカゴで指揮を執り、ナガイがボストンを管轄するのと同じように、ほかの信者たちも独立した事業を立ち上げたり、あるいは継承して、南はマイアミ、西はカリフォルニアまで広がる勢力圏を形成していったのである。

信者たちの企業を次々合併

法人としてのトゥルー・ワールド・グループは、1976年にインターナショナル・オセアニック・エンタープラゼズ(以下IOE)として設立され、統一教会インターナショナル最大の収益を生み出す営利目的の子会社に成長した。IOEの初期の役員には、アメリカ統一教会の2人の会長だけでなく、文自身も含まれていた。文が肩入れするアラスカの水産ベンチャーなど、IOEによる主要な買収は、彼の個人的な関心を反映していた。が、卸売事業については"真の父"の影響力は限定的だった。

1994年、ハドソンバレーの教会の敷地で開かれた海洋摂理についての祝賀会で、文はIOEの社長から黄金のトロフィーを贈られた。この頃には、文が始めたことの方向性はますます明白になっていた。会場はボストンのロッキーネック・シーフード、シカゴのレインボーフィッシュハウスなど、アメリカ中の同業者のブースや展示で埋め尽くされていた。

合併はすでに始まっていたのだ。しかし、それぞれ独立した企業のリーダーたちが、その保有株を統一教会インターナショナルに寄付し、トゥルー・ワールド・フーズとして一体化することは、決して前もって決められてはいなかった。

「自分の会社はいわば自分の小さな王国であり、とても居心地がいいものだ」と、ヤシロの妻で、レインボーフィッシュで彼と共に働き、後にトゥルー・ワールド・グループの管理者となった、ジェニファー・ヤシロは語る。それを放棄することは、「トップダウンの」のスピリチュアルなビジョンの一部だった、と彼女は振り返る。

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