戦後77年の今だからこそ「ナチス映画」が持つ意義 レイシズムは世界中で、依然として存在する

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戦後70年以上経った今、ナチスやヒトラーを描いた映画が沢山作られるようになった背景とは(写真:Militarist / PIXTA)
日本において、ヒトラー、ナチスに関連した映画や書籍が相次いで発表されている。いったい、なぜこれほどまでに関心が寄せられているのだろうか。そして、われわれはこれらをどのように観るべきなのだろうか。
『ナチス映画史ーヒトラーと戦争はどう描かれてきたのかー』から一部を抜粋してお届けする。
第1回:今の日本で「ナチス映画」が大量に公開される背景(6月13日配信)
第2回:16歳の原節子が出演した「ナチス出資映画」の中身(6月26日配信)

ナチス映画の「面白さ」と「価値」

ここまで「ヒトラー・ナチス映画」の年代別の系譜、ジャンルや国別での特色や代表作を見てきた。戦後75年という時間を経ていまだに数多くの作品が作り続けられていることも書いてきた。

これらの作品は商業映画である限り一定のニーズが無ければ成立しないのだが、そのニーズの源泉は、要は金を払って観るにたる「面白さ」(興味深く引き込むこと=Interest)と「観るべき価値」があるかどうかということだろう。次の8点に集約できると思う。

①被害者たる無辜のユダヤ人と加害者のヒトラー、ナチス、ドイツ軍という絶対的な悪役がおり、これに対して正義の軍隊である連合軍とレジスタンス、良心的な反ナチの市民がいる。わかりやすい構図である。

②①の正義と悪だけに収斂できない、さまざまな立場の人たちのさまざまな葛藤がある。SSやゲシュタポの中にも自らの行いに疑問を抱く人々もいる。ナチスに心酔している独軍兵士もいれば、反逆者となってもヒトラーを殺そうという軍人がいる。

ドイツ国内、占領下の国の一般市民の中にも反ナチと親ナチがいる。ナチスの行いを知ろうとする人、目をつむる人がいる。ユダヤ人を匿う人もいれば密告する人もいる。

ユダヤ人自身においても、収容所で生き残るためにナチスの手先となり同胞を虐待する人、脱走してナチスの所業を世に伝えようという人、闘って復讐しようという人もいる。

③これらさまざまな葛藤を持つ人々のドラマが、欧州大陸全域、広大な一つながりの空間のなかで、例外なく入り混じって展開される。敵と味方、加害者と被害者、立場や思想の異なる人同士は遠い場所にいるのではなく、すぐ隣にいるのだ。こうして必然的に国境を超えた共同製作の作品も多くなる。

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