40歳になってから惑った糸井重里の転身に学ぶ事 別の経験をした余裕が他の道筋に気づかせてくれる
あの糸井重里でも長く暗いトンネルに入った時期があったとは意外だった。たしかに40歳にもなれば、勢いという意味では若い頃のようにはいかない。どんな仕事においても単なるプレーヤーだけではすまされなくなる。夫婦関係や子育てなど家庭においても変化が生じやすい時期だ。彼もそうした中でもがいていたのかもしれない。1つの転機でもあったのだろう。
糸井の話は、「もう一度、人生が始まる」と考える中高年の後輩に対して、またとないアドバイスであり、先達からの励ましだとも言える。同時にその当時のもがいた経験が次のステップにつながることも教えてくれる。
糸井が語る40歳を越えたタイミングでの悩みは、寿命が急速に延びた現代人において共通している問題であろう。私の取材でも40歳を過ぎたあたりから迷い出す人は本当に多い。中年期で転換点が訪れて、「働くことの意味」や「生きることは何か」を自ら問い直すようになる。現代人のライフサイクル上の課題として生じるものだと言ってもいいかもしれない。
人生の後半戦を今まで通りの右肩上がり的な働き方を続けることはできない。どこかで新たな価値観で生き直すことが求められる。ただその切り替えは簡単ではない。糸井の場合は、いったん釣りに没入することによってその危機を乗り切ることができたと語っているように思える。
道草の効能
私が主宰する研究会に何度も出席して、ことあるごとに意見交換をしてきた岩瀬正和さんは、大学を卒業して大手鉄道会社に入社。駅での勤務や支社、人事課、営業本部などを経験して、20代はがむしゃらに働いた。30代の初めに退職して出家。高野山真言宗の布教研究所の教化研究員として巡礼での若者の変容研究を行うとともに、若者たちと一緒に四国遍路の先達として歩き続けた。
実家がお寺というわけではないが、以前から仏教にも興味を持っていた。大学時代はバブル期真っただ中だったが、当時の雰囲気には馴染めなかった。そしてスペイン巡礼やスリランカ巡礼など、海外にも足を運んだ。その後地元に戻り、塾で中高生や浪人生に英語を数年間教えた。本人は巡礼や英語講師を通して若者と触れ合うことで自然や人々との一体感を感じたという。
その後、会社員時代の同期入社の友人から声がかかった。会社が取り組む大規模なターミナルの駅ビル開発やそこでのテナント誘致の仕事に携わることになる。8年ぶりに会社員生活に戻って、さまざまな立場の人と一緒に仕事をしたのである。いろいろな意味で勉強になることが多かったという。
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