神戸の「万年筆インクが年2万個」売れる深い理由 「Kobe INK物語」誕生の背景に阪神淡路大震災
もともとは「神戸三原色」で完結するつもりだったが、お客さんの反応に勇気づけられ、「続き」を紡ぐことに。「北野異人館レッド」「海峡ブルー」など、幼い頃から脳裏に刻んできた色をインクにしていった。
販売開始から2年が経つ頃、神戸新聞でKobe INK物語が紹介されると、記事の切り抜きを手にした地元のお客さんが店を訪れ、声をかけてくれた。
「こんなええこと、ようやってくれた」「頑張ってな」
その言葉が、竹内さんの心に火をつけた。「Kobe INK物語に人生をかけよう」。
地域と共に色を作る
休日のほとんどをインクづくりのための取材に費やした。インクで表現したい地域を訪れ、色のイメージが固まるまで歩き回る。記録のため、写真を撮ることも欠かさない。取材回数は10回以上に及ぶこともある。ちなみに開発期間が最も長かったのが、冒頭で紹介した「神戸ヒメアジサイ」だ。
開発で大切にしているのは、「地域の賛同を得ること」。関係者のもとに通い「こんな色はどうですか?」と確認をしながら、色を作り上げていく。色の名前を地域の人につけてもらうこともある。例えば「南京町フォーチュンレッド」は、南京町商店街振興組合の理事長が名付け親だという。
「地域の色を作っているのに、地域の方に『この色、なんか違う』と思われてしまってはいけません。自己満足にならないよう、自分のイメージだけではなく地域の方の声を色に反映させてきました」
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