神戸の「万年筆インクが年2万個」売れる深い理由 「Kobe INK物語」誕生の背景に阪神淡路大震災
震災後の1カ月間は、まともに通勤できる状況ではなかった。竹内さんは、自宅から職場までマウンテンバイクで通った。国道2号線沿いを走ると、街がいかに変わり果ててしまったかが、手に取るようにわかる。あれだけきれいだった街が、なぜ――。呆然とせずにはいられなかった。
事務所のビルは半壊。売り場では、倒れた棚や崩れ落ちた商品が腰の高さまで積もっていた。「街も店も、復興できるのかな」と疑問を抱えながら、片付けに追われる日々が始まる。それから10年、「片付けしていたことしか思い出せない」。
「神戸ではもう働けないかもしれないと、心が折れそうになることもありました。ただ、後輩の前で仕事を放り出すわけにはいかなかった。店が立ち直るまでは見届けないと。その一心で、なんとかやってきました」
そんな竹内さんを癒やしたのは、ほかでもない神戸の街並みだった。仕事の合間にビルの屋上に立つと、目に飛び込んでくる六甲山。震災前と変わらない深緑が、心に染みていった。晴天の日、メリケン波止場から遊覧船に乗って沖合に出ると、空を映しこむ海が信じられないほど真っ青だった。
気づけば震災から10年が経ち、49歳になっていた。「まだ何もできてへん」とハッとした。そこで、ふと思いついたのが、お世話になった人にお礼の手紙を書くことだった。震災後、鉄道や道路が復旧するまでの間に、船で手伝いにきてくれた大阪の同業者や、わざわざ岡山県を経由して商品を届けてくれた仕入れ先に、感謝の気持ちを伝えたかった。
文字で気持ちを届けるなら、ハネやハライ、強弱を表現できる万年筆が最適だ。万年筆を手にとり、「さあ、どのインクを使おう」と思ったとき――。手が止まった。インクの色には、黒、紺、青しかなかったのだ。
「神戸三原色」の誕生
「神戸の街をインクの色で表現したい」
まず思い浮かんだ色は、仕事の合間にビルの屋上から眺めた六甲山の深緑だった。知り合いのインクメーカーに頼み、3、4カ月かけて色の微調整を重ね、Kobe INK物語の1色目「六甲グリーン」が生まれた。
六甲グリーンを販売開始した2007年は、奇しくも初代iPhoneが発売された年だった。万年筆の売り上げは右肩下がりで、万年筆のボトルインクは全メーカー合わせて1カ月30個売れる程度。社内の反応も「なんで今さら万年筆インク?」と懐疑的だった。それでも開発に漕ぎ着けたのは、「ぜひやってみてください」という社長の声があったから。
まず最小ロットの50個を販売したところ、地元企業のオーナーらが「神戸を色でPRするなんて、面白そう」と注目した。六甲グリーンは1カ月半で完売し、手応えを感じたため、2、3色目を約2カ月おきに展開。
2色目「波止場ブルー」は遊覧船に乗ってメリケン波止場沖から見た真っ青な海を、3色目「旧居留地セピア」は幼い頃から歩いた旧居留地を表現した。ここまでの3色を「山と海に囲まれた街・神戸」を象徴する「神戸三原色」と名付けて店頭に並べると、予想以上の反響があった。
「『えー、こんな色あるの?』と興味を示してくださるお客さんが目に見えて多かったんです。文房具にこだわりたい方、神戸が好きな方がこんなにいらっしゃるんやなと驚きました」
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