90年代米国が罹った「みんな子ども症候群」の正体 「スーパーマン」「バッドマン」がヒットした背景
この世代の名称の元となったダグラス・クープランドの小説『ジェネレーションX』の中では、様々な不確実性のために自分の感情から疎外され、それを受け入れることができないという感覚が描写されています。
冷戦後の世界は、敵が明確でなくなっただけでなく、経済的な不確実性の世界でもありました。南カリフォルニアのような兵器産業の中心地だった街では、そうした状況が色濃く表われていました。兵器の需要が減少したことで街の産業は落ち込み、多くの失業者や転居者が出ることになりました。思い出してください。『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)において、主人公のトニー・マネロはダンスパートナーとなった女性ステファニーと恋人になろうとしますが、最終的に「友達でいよう」と振られてしまいます。
彼らカップルには、非常に明確な階級のボーダーラインがあり、それは産業経済によって作られたものです。高卒のトニーたちの世界は、イタリア系移民であるというエスニックにより明確に定義されている一方で、そこから抜け出すことは容易ではありません。ステファニーは都会で働くことでアイデンティティを得ようとしますが、そこには確実なものは何もないのです。その境界が、あの映画ではブルックリンとマンハッタンを隔てるイースト・リバーに象徴されていました。
情報化時代のプロフェッショナル
『リアリティ・バイツ』の時代には、そうした区別は不明瞭なものになっています。リレイナやトロイらは皆、高等教育を受けた人物であることが重要です。自由な生活をしているように見えるトロイは大学を中退していますが、哲学書を読むようなインテリです。
リレイナはただ働くのではなく、自分が思うようなクリエイティブな世界を目指しています。私は彼らのような人たちを「情報化時代のプロフェッショナル」と呼んでいます。彼らは中流階級以上の出身で高学歴ですが、経済的に不確かな未来に直面し、もがいているのです。
彼らが住むカリフォルニアでは、民族性というものはあまり現れません。ベン・スティラー演じるMTV局員のマイケルは、おそらくスティラー自身がユダヤ人であることを反映しているでしょう。しかし、そうした民族性は、もはや自らのアイデンティティを規定してくれるものではありません。
若いカップルというのはいつの時代も不確かな未来に直面し、それをどうにかして切り抜けて愛を育んでいくのだという希望を持ちます。『サタデー・ナイト・フィーバー』も『リアリティ・バイツ』もその希望が共通したテーマではありますが、似て非なるものです。一方は工業化社会、そしてもう一方は情報化社会によって定義されているからです。
90年代のニューヨークは、暴力犯罪率が非常に高かった時代です。ニューヨークの殺人率は1960年に約5%だったのが、1990年頃には約30%と6倍に膨れ上がりました。
実際、私は70年代にニューヨークに引っ越してきたのですが、当時はすでに危険な場所だという認識がありました。80年代半ばからはクラック・コカインの使用率が急激に高まるクラック・ブームが起きましたし、強盗や殺人が冗談ではなく日常茶飯事でした。