90年代米国が罹った「みんな子ども症候群」の正体 「スーパーマン」「バッドマン」がヒットした背景
『リアリティ・バイツ』はウィノナ・ライダー演じるリレイナ、イーサン・ホーク演じるトロイら、大学の仲間たちの卒業後を描いた作品です。ある意味で非常にステレオタイプなハリウッドのラブ・ストーリーのようにも見えますが、そのテンプレートから逸脱しているところが多分にあるのが特徴です。
ポップカルチャーに媒介された世界で生きる
彼らはポップカルチャーに没入しています。カルチャーは単なる趣味にとどまらず、彼らはそれを通して現実の社会を生きているのです。そのことを象徴するシーンがあります。映画の序盤で、主人公たちがガソリンスタンドのコンビニで買い物をしているとザ・ナックの「マイ・シャローナ」が流れてきます。みんな歌詞を完璧に暗記していて、曲に合わせて歌いながら踊り狂っているのを店員が呆然と見ているのです。
あるいは、監督でもあるベン・スティラー演じるMTVの局員が、リレイナをデートに誘いに家にやってくるのですが、その時に他の友人たちは『GoodTimes』というテレビのシットコムを見ていて、酒を飲みながらそのエピソードをどれだけ完璧に覚えているかを競うゲームをしています。
つまり、彼らは現実の世界を生きているようでいて、生きていないようなものです。彼らが生きているのは、映像や歌などのポップカルチャーに媒介された世界なのです。自分自身の感情から切り離され、ポップカルチャーを通してそれに触れるという「経験の間接性」は、この世代の特徴の一つです。
もう一つの世代的な特徴は、60年代の反体制派のユートピア的願望──若者が世界を改革できる──の否定です。
映画は、リレイナが大学の総代としてスピーチをするシーンで始まりますが、そこで彼女はメモをなくしてしまいます。彼女は即興で話すのですが、その内容は60年代に若者だった自分の親たちの世代──すなわちベビーブーマーであり、ヒッピー世代──が、いかに彼らを裏切ったかということを糾弾するものでした。
より良い世界を作ると言っていたはずの彼らが残したのは、経済的搾取と環境破壊、限られた機会と人種差別の世界だったというわけです。「今の若者はBMWを買うために週80時間も働いたりしない」とリレイナは言います。この時代の若者たちは、不景気による不確実な経済的未来と政治的展望など様々な課題に直面しており、永続的で献身的な愛や人間関係を築くことの難しさを感じているのだと思います。
リレイナとその友人たちとの間には、一種の愛憎関係があります。ヴィッキーはGAPの店長として活躍しますが、奔放に男性と関係を持ち、エイズの可能性に怯えています。サミーはゲイであり、そのことで家族との関係に悩んでいます。
それぞれが個人的に不確実性を抱えているのです。
そして、X世代の持つ特徴の中でも最も顕著なものは皮肉(アイロニー)です。現実の経験から距離を置くために、すべてのことに真剣にならないし、なれないで、常にアイロニーの鎧を身にまとっているのです。