だって私はずっと、それらは「買う生活」で手に入れられるものと信じて疑わなかったのだ。ってことで長い間、とにかく一円でも多くのお金を稼がんと、「いい学校、いい会社、いい人生」(注:主に昭和の時代に信じられていた人生の方程式)という道を外れてはならじと精一杯踏ん張ってきた。
つらいことや理不尽なことがあっても、この程度の苦労や試練に耐えられないなら幸せなど手に入るはずもなし。そう自分に言い聞かせて耐え難きを耐えてきたのである。
でもそれは、どうもとんでもない勘違いだったらしい。
だって実のところ、どれほど頑張ってサラリーを稼いでモノを買いまくっても、結局はどこまでいっても灰色の忍耐時間と大して活用していない山ほどのモノたちがどんどこ積み重なるだけで、なぜか肝心の「幸せ」はどこまでいっても手に入った実感が得られずにいたのですよ。
ところが会社を辞めて仕方なくお金を使わない生活を始めた途端、その瞬間からすべての「幸せのモト」がコロコロとわが手中に転がり込んできたのだ。
思い込みそのものが間違っていた?
ってことは結局「お金」と「幸せ」の間にはほぼ何の関係もなかったってこと……? 「お金を手にすれば幸せが手に入る」という思い込みそのものが間違っていたってことなのか……?
いや、どう考えてもそういうこととしか思えない。
だって改めて思い返せば、私は「幸せになるには何はともあれカネしかない」と思い込んでいたがゆえに、ストレスを溜めまくりながらお金を稼ぎ、しかし稼いだ金をせっせと使ったもののどうも幸せになれず、となると、今ですらこの状態なんだからこれでお金がなくなったらもっとひどいことになるんじゃないかと怯え、もっと稼がなきゃさらに頑張らなきゃと焦り、ってことで当然ストレスフルな生活はどこまでも終わりがなく、しかもその結果得たお金をどう使ってもやっぱりどうも幸せになれず、そのうちトシもとってきて頑張りもふん張りもだんだん利かなくなってきて、ああこれから私はいったいどうなっちゃうんだ~と将来への不安だけがシンシンと積み重なっていく……って、よく考えたら負のスパイラル以外の何物でもない人生を延々と過ごしてきた。
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