表舞台から忽然と姿消した「ウイスキー」復活の訳 70年代には蒸留所が2000以上から2カ所に減少

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アイリッシュウイスキー復活のきっかけは?

世界から忘れ去られてしまったアイリッシュウイスキー。その復興の快進撃が始まったのは1987年から。復活の立役者は、ジョン・ティーリング氏。彼はハーバード・ビジネス・スクールでアイリッシュウイスキーの栄枯盛衰を研究し、衰退してしまったアイリッシュ・ブランドの復興を目指しました。

1987年、ダブリンの北、北アイルランドとの国境近くのクーリー半島にあった、政府の工業用アルコールの蒸留所を買収し、アイリッシュウイスキーの蒸留所に転換。このクーリー蒸留所がブッシュミルズ蒸留所、ミドルトン蒸留所に次ぐ、第3の蒸留所として誕生し、新たな革命を次々と起こしました。

その1つが、連続式蒸留機を使うグレーン原酒を製造し、その後に続く小さな蒸留所にも卸したことでしょう。アイリッシュウイスキーは3年間の熟成がルールとなっています。ブレンデッド・ウイスキーを作るには、3年間を経たモルト原酒とグレーン原酒が必須となります。小さな蒸留所にとってグレーン原酒の製造がネックになっていたのです。

アイリッシュウイスキー復興の立役者、 ジョン・ティーリング氏。写真提供/ウイスキー文化研究所(写真/椙本裕子<【Q6】、店舗>)

また、ジョン・ティーリング氏はアイリッシュウイスキーにしかない“ポットスチル・ウイスキー”が復興のカギを握ると確信。モルト、グレーン、そしてポットスチル・ウイスキーの3種類の原酒を組み合わせることで、多彩なブレンデッドが生まれることに活路を見いだしました。

2010年には世界的にクラフト・ウイスキーのブームが到来。アイリッシュウイスキーの蒸留所も2013年から現在にいたるまで確実に軒数を増やし、今では50軒を超えるほどまでに。その一方で、いかんせん日本においてアイリッシュウイスキー情報が少ないのも実情です。

ここ2~3年でわかってきた興味深いことの1つに、畑によって大麦に違いが出てくるということ。アイルランドの肥沃な土地で育った大麦、そして香りにかかわってくる水など、ウイスキーにおけるテロワールが、にわかに注目を集めています。

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