表舞台から忽然と姿消した「ウイスキー」復活の訳 70年代には蒸留所が2000以上から2カ所に減少

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アイリッシュウイスキーが表舞台から消えたのはなぜ?

世界中で人気を誇ったアイリッシュウイスキー。それが、どうして忘れられてしまったのでしょう? その理由は主に3つあげられます。

まず、19世紀後半に、スコッチウイスキーにブレンデッドが登場したこと。それまでスコッチウイスキーにはモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーしかありませんでした。それが2つを混ぜ合わせることで大量生産が可能になり、その分、安価に。多くの原酒を含むことで、品質も安定しました。そして当時、“ブレンデッド”がウイスキーにおける“新時代”のイメージを焼き付けたのです。

第2の理由は、アイルランドの独立戦争です。1922年にアイルランド32州のうち26州がアイルランド自由国としてイギリスから独立。ダブリンなどは戦禍を被り、ウイスキー造りどころではない状況に陥りました。さらにイギリスは報復措置として、世界に広がる大英帝国からアイリッシュウイスキーを締め出しました。

それでもアイルランドは、当時1000万人いたというアメリカの移民を頼りにしていました。当時、ウイスキーのメイン消費国はアメリカだったからです。母国愛が強いアイルランドの国民性なら、アメリカでアイリッシュウイスキーを飲み続けるだろうと踏んでいたのです。ところが、1920年にアメリカで禁酒法が施行されてしまい、その頼みの綱も絶たれました。これが第3の理由でした。

アメリカでは1920年に禁酒法が施行され、酒類の製造・販売・流通が禁止制限された。禁酒法は1933年まで存続した(写真/椙本裕子<【Q6】、店舗>)

さらに悪いことは続き、1920~1933年、アイリッシュウイスキーの密輸品として、スコッチウイスキーの粗悪品がラベルを変えて販売され、イメージが悪化。

加えて、第2次世界大戦において、スコッチウイスキーとアイリッシュウイスキーは、マーケット戦略において真逆の選択をしました。スコッチウイスキーは、国内は配給制にし、ほとんどを輸出に回しました。一方、アイリッシュウイスキーは国内での流通を確保するために輸出を禁止、世界市場から消えることに。

そして17~18世紀には2000を超える蒸留所があったアイリッシュウイスキーは、統合などの理由はありつつも、1975年には蒸留所はわずか2カ所にまで減少してしまいました。

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